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Channel: 新古今和歌集の部屋
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源宗于 公任俊成 筆者不明掛軸コレクション

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    源宗于朝臣

常盤なる松の

  みどりも春

 くればいまひとし

   ほの色まさり
       けり



古今和歌集 巻第一春歌上
寛平御時きさいの宮の歌合によめる
ときはなる松のみどりも春来れば今ひとしほの色まさりけり

ときわなるまつのみどりもはるくればいまひとしおのいろまさりけり

作者:源宗于(みなもと の むねゆき ? - 天慶2年(940年))光孝天皇の皇子是忠親王の子。
出典:寛平御時后宮歌合

撰歌集:和漢朗詠集、三十人撰、公任三十六人撰、俊成三十六人歌合



平成30年7月11日 壱點壱

塵劫記 ねずみ算の事

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ねずみさんの事
正月にねずみ、ちゝはゝいでて、子を十二疋うむ、おやともに十四疋に成也。此鼠
二月には子も又子を十二疋づゝうむ。ゆえに、おやともに九十八疋になり。かく
のごとく、月に一度づゝ、おやも子もまごもひこも月々に十二ひきづゝ
うむとき、十二月にはなにほどになるぞといふ  壱年に合二百
七拾六億八千弍百五拾七万四千四百二疋になる也。此ねずみ
一日に米半合くひ申して1日に
米千三百八拾四万千弍百八十七石弍斗 ○壱合なり。



正月に 壱疋十二づゝうむなり
    父母共に 十四ひきなり
二月に 生れ子  八拾四疋
    おや共に 九拾八疋
三月に 生れ子  五百八十八疋
    おや共に 六百八十六疋
四月に 子    四千百十六匹
    おや共に 四千八百弐疋
五月に 子    弐万八千八百十弐疋
    おや共に 三万三千六百拾四疋
六月に 子    弐拾一万千六百八十四疋
    おや共に 弐拾四(參)万五千弐百九十弐(八)疋
七月に 子    百四十一万千七百八十八疋
    おや共に 百六十四万七千○八十六疋
八月に 子    九百八十八万二千五百十六疋
    おや共に 千百五十三(二)万九千六百弐疋
九月に 子    六千九百十七万六百十弐疋
    おや共に 八千○七十一万七千弐百十四疋
十月に 子    四億八千四百廿四万三千弐百八十四疋
    おや共に 五億六千四百九拾六(五)万○四百九十八疋
十一月に 子   三拾三億八千九百七拾万二千九百八十八疋
    おや共に 三拾九億五千四百六拾六(五)万三千四百八十六疋
十二月に 子   弐百三拾七億二千七百九十二万○九百十六疋
    おや共に 弐百七拾六万(億)八千二百五拾八(七)万四千四百○弐疋
注( )は、計算に依る。

法に鼠二ひきに
 七を十二度
  かくれば右の
   ねずみの
    高
     としれ
      申候
       也



増補頭書 新編塵劫記大全

塵劫記 入子さんの事

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入子さん
あるひは七つ入子を
銀弐拾壱匁に買時
いれ子一つに付
六分づゝさげては
何程にといふ
壱匁二分にあたる

一匁二分  一匁八分
二匁四分  三匁
三匁六分  四匁二分
   四匁八分

先七を左右に置
て右の七を一つ
ひいて六にて左
の七をかくれば六七
四十二となる。これを
二つにわれば廿一と
なる。是に六分を
かくれば十二匁六分と

なる。是を右の弐拾
壱匁のうち引ば八匁
四分残る。是を
七つわるなり。



7回×(7回-1)÷2=21回
21回×0.6匁=12.6匁
21匁-12.6匁=8.4匁
8.4匁÷7回=1.2匁
(21-7×(7-1)÷2×0.6)÷7=1.2



増補頭書 新編塵劫記大全

塵劫記 船積運賃の事

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ふなづみうんちんの事
▲あるひは米二百五十石つみていつ方へ成ともつくる時にうん
ちん百石に付七石づゝ右二百五十石の内にてはらふ時うんちん
何程ぞといふ 運賃十六石三斗五升五合一夕4才なり。まづ
弐百五十石に七石をかくれば一七五となる。是を百七石にて
われば運賃しるく也。又右の本米は何程ぞといふ
二百三拾三石六斗四升四合八夕六才なり。右の二百五十石を百七にてわればしるゝなり。
▲米かいにいづかたへなりともくだる時に銀十貫弐百匁あり
又人のことづかり銀六貫八百目くだす時二口合十八貫目なり。
▲米の相場 十石に付  弐百四十二匁也
▲うんちん 十石に付  八匁づゝなり
▲米買申候のつかい銀  九拾匁入なり
右の十八貫目にてうんちんづかいはらひて米何程づゝぞと云
七百十六石四斗づゝ也。まづ相場二百四十二匁にうんちん
八匁をくわへるときに二百五十目と成。是を左に置て右に
十八貫めと置て此内つかい九十匁引残て十七貫九百十匁ある。是を
左の二百五十目にてわれば七百十六石四斗としゝ也。
又人のことづかり銀六貫八百目のぶんには米何程わたして
よきぞといふに二百七十石六斗四升なりといふ。




増補頭書 新編塵劫記大全

塵劫記 薬師算の事

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やくしさんといふ事
かくのごとく四方にならべて一方に
八つづゝ有時一方は八つをそのまゝ置き
三方をばくづしてまた八つづゝならべて
みればはした四つ有。此はしたばかりを
きゝて惣数なにほどゝいふ廿八あり。
法に半一つを四つづゝのさん用にして十
六と入此外に十二くわへる時二十八といふ
なり。此十六いつも入也。又端なしと
云時は十二有共廿六又百廿有共云なり。



増補頭書 新編塵劫記大全

塵劫記 象の重さ

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大唐武帝の御子
蒼舒いはく
象を舟にのせて
水あとさかん
ところをしるし
置きて象を
おろし又物を
積てそれを
はかれば象の
重サをしるべしと
の○ふと也。氣○
ユ夫のさんかん此をくて知る事也。

文化三年丙寅春正月



陳寿の『三国志』魏書巻二十の、曹沖(字名倉舒)の逸話の伝であるが、仏典『雑宝蔵経』の巻一に見え、日本では今昔物語集で天竺の話に、70歳以上の老人を棄てる所謂姥捨山伝説と老人の知恵により難局を乗り切ると言う物がある。

参考
今昔物語集 巻第五 天竺
七十余人流遣他国語 第卅二
前略
其の後、亦、象を遣て、「此の象の重さの員、計へて奉れ」と申したり。其の時に、国王、「此の如く云ひ遣するは、いみじき態かな」と思し煩て、此の大臣を召て、「此れは何が為べき。今度は更に思得難き事也」と。大臣も、「実に然か侍る事也。然りと雖も、罷り出でて、思ひ廻して申し侍む」と云ひて出ぬ。国王、思す様、「此の大臣、我が前にても思得べきに、かく家に出でつつ思ひ得て来るは、頗る心得ぬ事也。家に何なる事の有るにか」と、思ひ疑ひ給ふ。
而る間、大臣、還り参ぬ。国王、此の事をも、「心得難くや有らむ」と思し給て、「何ぞ」と問給へば、大臣、申して云く、「此れも聊に思得て侍り。象を船に乗せて、水に浮べつ。沈む程の水際に、墨を書て注を付つ。其の後、象を下しつ。次に石を拾ひ入れつ。象を乗て、書つる墨の本に水量る。其の時に、石を量りに懸つつ、其の後に石の数を惣て計たる数を以て、象の重さに当てて、象の重さは幾く有ると云ふ事は知るべき也」と申す。国王、此れを聞て、其の言の如くにし計て、「象の重さ、幾なむ有る」と書て、返し遣しつ。
後略



増補頭書 新編塵劫記大全

春歌上 勝命 筆者不明掛軸コレクション

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 清輔朝臣の許にて
 雨中苗代といへる
 ことをよめる
     勝命法師

雨ふれば小田の

 ますらおいとまあれ
         や
なはしろみづを

  そらにまかせて




新古今和歌集 巻第一 春歌上
清輔朝臣の許にて雨中苗代といへることをよめる
           勝命法師
雨降れば小田のますらをいとまあれや苗代水を空にまかせて

あめふればおだのますらおいとまあれやなわしろみずをそらにまかせて 隠 雅経



       ○高
 振りむけば

      冨士の

冬     麓に
 とも  ふる
みへ     雪
   ず    は
ふれる
   古里


作者不明
振り向けば富士の麓に降る雪は冬とも見えず降れる古里



平成30年7月26日 壱

百人一首一夕話 13 巻之五 3 蔵書

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伊勢太輔  歌釋

清少納言  歌釋


 函谷関の故事の話         香炉峰の雪の話
 枕草子の話
左京大夫道雅  歌釋

相模  歌釋
 相模公資の妻となりし話
大僧正行尊  歌釋
 大峰順逆峰入の話        行尊能書の話
 行尊琵琶の緒を懐にせられし話   聖宝僧正三宝院の祖たる話
周防内侍  歌釋

三條院  御製釋
 帝御目を病せたまひし話      内裏数度炎上の話


抄石集云
上東門院とて、后おはしま
しける。八重ざくらを都に
めされしかば、大衆
いと便なし。たとへ
命はともあれ、桜
をほりて、えこそ
まゐらすまじと
いなびて、あながち
なるわざなどもあり
とかや。女院
かくと聞こし
めし給ひて
奈良法師は心
なきものとこそ
思ひしに、洙に色
深しとて桜は
めさずなり
   けり
    云々

又云
伊賀國、
余野の
庄をよせ
給ひて、花
の盛7日
    が
あいだ、
   宿直             古今集
をして                ふる
守らせ、                さとと
 たまひ               なりにし
   ける。              奈良の
 かく                   都にも
  有ければ、             いろは
 余野の                 かはら
   庄を                  ぬ
  あらためて、              はなは咲けり
   花垣の庄とは、            奈良の帝の御製
    名づけらる
        云々


孟嘗君
ひろく士を
愛しよく
扶助を
加ふるが故
鶏鳴の一
曲關を
ひらかせて
函谷の九
死を出づ
牛溲馬
勃敗鼓の皮

まで蓄用を
待って功を
なすと
韓愈が
格言こゝに
かなへるや

 偶ニ賂テ狐裘ヲ解ケドモ
 秦囚ヲ凾関月
 暗クシテ未ダ開カ憂ヲ三
 千ノ賓客遂ニ無シ
 報ズル○カニ見ル鶏鳴
 狗盗流

  題孟嘗君
  出函谷関之
  圖  鈴木眞




百人一首一夕話 14 巻之五 4 蔵書

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齋宮のはじめは崇神帝の
皇女豊鋤入姫命、天照大神
の御杖代となり、國々へ遷行
のうち、垂仁帝の皇女大和
姫の命に譲り、其後伊
勢國五十鈴川の上に、鎮
座まし/\て、斎宮を多
氣郡に作る。故に多
氣の都といふ。
其より世々の
帝、御即位
の時、斎宮に
立せ給ふべ
き、皇女を卜
定し、宮中
に斎院をつ
くり、明年七
月迄こゝに、齋
し給ひ、八月野の
宮に移、亦一とせ

斎ありて九月上
旬吉日河に臨み○
禊をなし、内裏へか
へり、其より伊勢に
赴き給ふ。其儀式
等は、江家次第、西
宮抄等に委しく、
官府又朝野群
載に見えたり。業
平伊勢に使して斎
宮に密通をなす事、
伊勢物語及び、諸書
に是を挙。道雅又斎宮に通
ずる事あれども、斎宮帰京の上
なり。されども其制禁厳にして、
媒せしもの退られし程に、忍逢ぬ
べきよすがなきまゝ、深く是を歎き、
御殿の欄に歌をよみて、結付られ
しとなん。今はたゞよめるうたも、
かゝるをりからなるべし。

○み


約束上に○しからねば従
者下に乱る。従僕の争ふ
は、主君の命令厳かな
らざればなり。定頼春日行
幸の折から、しかも行司と
して闘争をしづめず。
却て従者をして、是を
助しむ。罪を得事
      宜なり

因云
明朱舜水、
乱をさけて、
皇國に来
り。水府に
居する時

一人の隷僕を
養ふ。起居甚
つつしむ。将一日
他に至るに、
一人を雇て
僕とす恩
顧の主従の
如く、出入頓
首して、命に
随ふ。舜水
深く皇國
の風儀
を、尊み
けるとなり


○ただ


山家集
 大峯の神仙と
 いふ所にて月を
 見てよみける

ふかき山に
   住みける
月を
 見ざりせば
思ひでも
   なき
 我身なら
   まし
   西行

大峰は、大和
の国吉野に
あり。修験道
練行のところ、
吉野より熊
野に至て、七十
余峯、山嶺
の高峻、坂路

の嶮難桟を
渡り、雲を
踏んでゆく。
御山、釈迦嶽
大日岳、土室等
を経て玉置山に
至る、これを峯中
といふ。熊野發心
門より入を順と
いふ。役小角、熊野
より分はじめし
なり。其後山に
蛇すみて、入事なり
がたきを、醍醐の聖
寳、吉野よりふみ
初しなりと、
  栄花物語には
      いへり



周防の内侍が
我さへ軒のしのぶ
草と、柱に書つけ
けん、伊勢が瀬に
かはりゆくとよみ
       し
家と、同日の論と
     いふべ
       し



古今集
家をうりてよめる
       伊勢
飛鳥川ふちにもあらぬ我が宿も瀬にかはりゆく物にぞ有りける

佐竹本三十六歌仙絵巻 在原業平朝臣 複製掛軸コレクション

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蔵人頭右近衛権中将従四位上在原朝臣業平

  平城天皇孫弾正尹阿保親王五男母伊豆内
  親王桓武天皇第八女

代の中にたえてさくらのなかりせば
 はるのこゝろはのどけからまし



古今集 春歌上
なぎさの院にてさくらを見てよめる
      業平
世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし


伊勢物語



平成30年8月3日 壱點壱

2つの大江山 百人一首一夕話

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 小式部内侍
大江やまいくのゝ道のとほ
ければまだふみもみずあま
           の
はしだて

金葉集雑上に和泉式部保昌に具して丹後の国に
侍りける比都に歌合のありけるに小式部の内侍うたよみに
とられて侍りけるを中納言定頼局のかたにまうで来て
歌はいかゞせさせたまふ丹後へは人はつかはしてけんやつかひは



まうで来ずやいかにこゝろもとなうおぼすらんなどたはぶれてたち
けるを引きとめてよめるとあり。此事はおくの話の所にきせばこゝには
いはず。此歌のこゝろは母の往きて居るる丹後の国へ下るには丹波路の
大江山幾野などゝいふ所ありて其名さへおほきなるやま幾ばくとも
しれぬ野といふやうなる所にて道のほども遠きによりていまだたよりの
ふみも見侍らずといふ事を彼丹後にある天の橋立をふみても見ぬと
いひなしたるものにて大江山幾野天の橋立のみつの名所をよみ入て
思ふ心をあらはしける歌也。

百人一首一夕話 15 巻之六 1 蔵書

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百人一首斐刀餘雅太利巻之六

  目録
能因法師  歌釋
 能因小食の話           井出の蛙長柄の橋の鉋屑の話
 三島明神に雨を祈る歌の話     白川の関の歌の話
 ふじ柴の加賀の話         能因古曽部の家の話
良暹法師  歌釋
 大原山荘の話           長嘯子大原の歌の話
 まふり手の話           郭公長鳴くとよみたる歌の話
 関の石門の話
大納言経信  歌釋
 経信三舩の才の話         玄象牧馬の琵琶の話


 犬目の少将の話          怪物詩を吟ずる話
 高麗王日本の名医をこふ話     天下判者の話
祐子内親王家紀井  歌釋
 堀川院艷書合の話
権大納言匡房  歌釋
 匡房四歳にして書を讀話      江家書籍の話
 隆方実政争の話          匡房東琴の歌の話
源俊頼朝臣  歌釋
 難後拾遺作者の話         淀の渡の歌の話
 我名を歌によみ入れるゝ話     鏡宿遊女俊頼の歌を○ふ話
 基俊々頼不和の話         風のはふりの話
藤原基俊朝臣  歌釋

 維摩會講師の話          しめぢが原の歌の話
 俊成基のを師とする話       基俊々頼の歌を難ずる話
法性寺入道前関白太政大臣  歌釋
 頼長忠道不和の話         法性寺殿流と称する話
 最勝寺の額の話


能因節信はじめて見参の
引出物とて、錦の袋より、長
柄の橋の鉋屑と、井出の蛙
の乾たるを、互に出し、珍し
がりて、喜を盡して、別れ
けり。慎に其交の雅なり。古
を慕ふの心、如斯にして
足ん。然るに近世好古を
もて、自ほこるもの有て、
墳墓を暴き、臭穢の
器をとり、星産を傾て
無藝の物を集む。これ
何等の物を雅趣かある。五雑
組に、秦士古物を好む有
價貴も是買ふ。人
有て、敗たる席をもて
来る。是は昔魯の哀公
席を命じて孔子に敷
む、席なり。秦子大に
適て古となし田を以て
易ゆ。其後古竹一
枝を携 、大王策
を杖、邠を去し
時、操處の物也と、

しめす人あり。
孔子より古き
事百年と。
家の資財を
傾て求む。又
其後一隻の
漆椀をもて
来る有。いふ
席と杖とみな
周の時のもの猶
未古からず。此椀
は舜の漆器
を作るといふものなり。秦士
甚喜び、遂に居所の宅を
空しくして、是に与ふ。三つ
の古物既に得て、田宅資
用盡て衣食すくなし。
されど好古の心三器を捨るに忍びず。
襄公の席を披、大王の杖を持、舜の椀を
執て、ゆく/\市に乞ふ。是はこれ衣食の
父母、大王が九府の銭あらば我に一文を與
よと。此文を以て、世の好古に癖する。
            笑ふべきなり



日本後記ニ曰ク嵯峨天皇
弘仁三年、依テ勅ニ造ル攝
津国西成郡長柄橋ヲ
云々
文徳實録ニ曰ク仁壽三
年九月戊子朔戊辰、
攝津國奏言長柄三
国ノ両河頃橋梁断
絶シ人馬不ズ通。請フ准ジ堀
江ノ川。置テ二隻ノ舩以テ通ジ
濟渡ヲ許ス之ヲ云々

諺曰
 むかし長柄の橋を造る時、
 人柱を立つべしとて、関を置
 て其人を選む。岩氏の長
 者といふもの有て、人はしらと
 なり、此橋成就すと。却て
 人柱の事をいふはこゝに限
 らず、然れども皆俗説に
 近し。日本紀仁徳帝の
 条に、茨田の堤を塞ぐ
 とき、二人を以て水神を祭、
 是を沈めて堤を築。其時
 茨田連衫子なる者、その
 一人にあたれり。二つの瓠を
 水中に投、何伯神あらば
 是を沈めよ、若沈得ずば、
 何いたずらに我命を捨
 んやと。終に沈まず、衆
 人是を見て、其勢大に
 倍して、堤已に成る。衫子
 が智西門豹の匹なり

百人一首一夕話 16 巻之六 2 蔵書

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良暹法師が我宿
のみぞ、烟たえぬる、
とよみておくり
しは、栄辱
をはなれたる、
大原や、朧の
清水のほとり
に、風月をもて
あそび、清貧
を楽しみて、
栖はれし
折からなり。
其幽棲
おもひ
 やるべ
   し

既不貧栄
安有辱、縦
饒無楽亦
何然、一絲
風月厳陵
釣、千里開
山季子九裘
 宋真山民が作り
 けんもこれらをや
      いふべき


大原やまだ炭竃もならはねば我が宿のみぞ烟たえたる


大堰川遊覧。い
にしへよりかはらず。
其風流賞すべ
き多かれど、貫
之が一章の序、
公任が三舩の才、
世をもってしる
處なり。経信又
遅参す。いさゝか
才にほこるに似
たれど。時に取て
名誉と
  いはんか


玄象、又玄上と書り。此
琵琶の事諸書に
のせ、或は紛失し、又は
出現の事等あり。古
事談に、玄上の事、
江中納言に、人の
とひければ、たしか
成説をしらず。
延喜の頃、玄上
宰相といひける、
琵琶ひきの、
琵琶ならん
とぞ答られ
けるとあり。
禁秘抄の
説、これに
おなじ。玄上

撥面の繪
の事、師時卿
の記にいふ、打
毬の唐人二
騎歟、是左府
の仰なり。これも
古事談に
   見えたり


懸想文賣の事は古き誹諧の
季寄などに出て其ことの始末
たしかならず正月元旦より
屡町〃を賣歩行けり其
○扮赤き布衣にはかまの
そば高くとり覆面して
懸想の文を笹に書つけ
たるをも賣れり処女など
これをもとめて
其良縁を
  うらなふ
寛文のころ
   までは
 有しが
   そのごは
  たえしとぞ

艶書はうすやう
にてつゝむつゝ
まざるは
はだか文とて
嫌ふなりと
西行法師は
  いへり

※○扮:いでたち

懸想文売

平家物語四部合戦状本 蔵書

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慶應義塾大学
付属研究所   斯道文庫 編校


四部合戦状本 平家物語

      株式会社大安



編者:慶應義塾大学附属研究所斯道文庫
初版:昭和42年3月25日
発行:(株)大安
全3巻



平家物語 巻一

平家物語巻第一
 并序 四部合戦状第三番闘諍
祇薗精舎之鐘聲有諸行無常響娑
羅雙樹花色顯盛者必衰理奢人不
久如春夜之夢武者終滅同風前塵
遠訪異朝秦趙高漢王莽梁周異唐

鑑賞日本の古典 新古今和歌集 山家集・金槐和歌集 蔵書

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鑑賞日本の古典 9


新古今和歌集
山家集・金槐和歌集




著書:有吉保 犬養廉 樋口芳麻呂
初版:昭和55年10月10日
発行:尚学図書

新古今和歌集 119首
有吉保
底本:宮内庁書陵部旧鷹司公爵家蔵本

山家集 51首
犬養廉
底本:山家集 大系本 西行上人集(石川県立図書館)及び聞書集(伊達家旧蔵) 私家集大成本

金槐和歌集 42首
樋口芳麻呂
底本:建暦三年奥書本、貞享四年板版

百人一首一夕話 17 巻之六 3 蔵書

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義家朝臣宇           孫子曰
治殿へまゐりて、        鳥起者伏也獣駭
戦の物語申           者覆也
けるを大            齊田單燕の兵を破りし
江匡房卿            時則墨の市人をして、祖
聞て、武勇             先を路にまつり、食を
はすぐれた              落らして衆鳥をして、
る大将なれ              ついばましめしは、
ど、猶軍の               将に城中人少
道は知らぬ                きを示すなり。
と、獨り                  是野に
ごとし                   伏有時
て出                    は、鳥
られ                     驚くに
たるに、                    反する
義家の                     もの
郎党貞                      歟
任聞て江
帥のかゝる
事の宣
へりと、
語りけ
れば、定め
てゆゑ

あらんと、
車に乗ら
るゝ処へ、義
家はしり
付て、會釈
せられ、やがて
弟子と成て
學ばる。其後、永保
の合戦の時、金沢
の城を攻けるに、一
列の雁飛さがりて、
刈田の面におりん
としけるが、俄に
おどろき、つらを乱
して、飛去る。義家
此時、江帥の教はこゝ
なり。軍野に伏する
時は飛雁つらを乱
すと、此野かならず伏
兵あらんと。終にこれを
討て、勝利をえられし
       となり


 壬生忠見

いづかた
   に
 啼て
 ゆく
  らむ
 ほとゝ

  ぎす
よどの
 わたり
   の
まだ
  よふ
  かき
   に


室積には、さゞら浪
立とうたひ、江口には、月
はもれと詠ず。手
越の千手、池田の
熊谷、鏡の宿、野
上の里、加多の
立櫂、浅妻の
波枕なんど、あは
れ流れのうき
身にも、やさし
き名の今に
つたへけるも、
多かり其
身は賎し
かれども、
高貴に
まじ
 はり

よみ出
る和歌
も、代々の
撰集にす
くなから
ず。朝野
群載にも、
遊女の記あ
りて、古き
遊女の名、種々を載
られたり。こゝに写
すところは、かゞみの宿
の遊女にして、画史何等
の古画を藍にもとゝ
なせるにや。ほどほど
 いにしへにせまる。
  鏡の名のうつし
   えたりといふべし


基俊秀才にして、
道に長じぬれど、
人の歌を見る時は、
口を極めて批判
せられしほどに、
人其多口を悪む。
琳賢顕仲等に
たばかられて、嘲弄
せられし事有。
然れ共、俊成の
師として、後世
二条家の
祖と仰がる。

非常の
   人
かならず
 非常の
 才ある
  ならむ
    歟


兵は神早を尊む。さきん
ずる時は敵を製し、おくるゝ
時は敵に製せらる。為朝が、
白川の宮に軍儀する。既
にこれなり。頼長こころ臆
するをもって、いたづらに
援兵をまち、戦猶豫
するがゆゑに、遂に製
せらるゝに至る。もし
為朝の策
もちひらせば、
勝敗我、いづ
れに有を
しらず

呉子曰
 兵を用るの害
 猶豫最大なり。
 三軍の災は、孤
 疑よりなると、史
 これをいふか

百人一首一夕話 18 巻之七 1 蔵書

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百人一首一夕話巻之七

  目録
崇徳院  御製の譯
 美福門院の話           官軍白川殿を襲ふ話
 鎮西八郎の話           新院讃岐に送らせ給ふ話
 西行白峰の歌の話         久の松の話
源兼昌  歌譯

左京大夫顕輔  歌譯
 人麿画像の話           俊成卿顕輔を師とせられし話
 表歌の話             六條家の和歌の話
待賢門院堀川  歌譯




 為朝九石の弓をひく。矢に向ふ
 もの万に一生を得るなし。兄義朝、
 已に是に向ふ。其矢兜の頂に
 中る。義朝いまだ其枝精し
 からずと笑ふ。為朝應ずるに兄
 を重んじ、為に一矢を遜る○
 命を得ずんば我辞せずと、大に
             戦ふ

以下三紙をつらねて、保元交戦の
圖なり。人物の態、兵器の製、画
史の精練、看官目をとじめて、
これを察すべし

○:のみ








                 先王の道を
                 學ぶは、仁義を
                 進め、國家を安んぜん
                 為なり。左府頼長公、
                 博学多才といへども、
                 君を資、自を慎まず。
                 遂に悪逆無道に
                 おち入り、其死を
                      よく
                       せず
                      悲史、
                      匹夫にも
                       およば
                         ざる
                       ことを




保元の後しば/"\、
兵乱やまず、世以て
帝の祟とす。大
乗經の
請願、
むなし
からざる處か。
崇徳の号
こゝに
 おこれり


蓮如入道志たかく、
墨染の衣を雨露
に潤しはるかの
波濤を凌ぎ、仮
の御所に来り、
守衛の武士の
ゆるさ
 ざるを
尚その
ほとりを
立さらず。
終に其
音づれ
   を
 得て、
和哥
  を

ささげ、
なぐ
 さめ
奉り
 しは、
かの
 魚腹
   に
 書をかくして
      賣、
 桜樹に
  詩を題
    して
 去るの、
   忠臣にも
   比せんか

百人一首一夕話 19 巻之七 2 蔵書

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後徳大寺左大臣  歌譯


 実定公顕長卿贈答の歌の話     佐藤兵衛近宗の話
 内侍有子の話           内侍共清盛の舘に参る話
 内侍有子入水の話         実定公社頭月の歌の話
 貢米の船難風に遭ふ話       西行徳大寺家に参る話
 名なしの大将の話
道因法師  歌釋
 はだし馬助の話          歌合に負けて清輔を恨む話
 盲法師を責めて読歌をうたはしむる話
皇太后宮大夫俊成  歌釋
 俊成顕隆の養子となりて顕廣といひし話
 基俊の弟子となられし話      俊成自讚の歌の話
 桐火桶の歌の話          後鳥羽院の御師範たる話
 九十賀の話            なるさの入道といひし話
 芦たづの歌の話          俊成賎の女と連歌せられし話
藤原清輔朝臣  歌譯
 續詞花集戯笑歌の話        尚歯會の話
俊恵法師  歌譯
 鴨長明俊恵の弟子たる話      俊恵他人の歌を物に喩へて論ずる話
 俊成の秀歌を難ずる話       俊恵自讚の歌の話


藤原兼房夢中に
人麿に見え
画く處は
肖像
白河院に
奉り有
  しを
顕輔した
  はれ
申乞て
信輔を
 頼みて
是を寫

 せしむ
世に
 普く
傳ふる
 所の
  像也
夢亦
 其兆
なきに
  あらず
かの白髪
 なるものは
何等の故
 有事を
 しらず


厳島明神は
    祭る
處三座市杵島姫
田心姫湍津姫
推古天皇二十二年
十二月社を
営む其のち
平相國
  清盛
霊験を
 得て
造営
 を

加えいまに

 麗
  を

 す


実定公大将を
越られしを歎き、
厳島に祈り申
され、殊に太政
入道が置れし、
内侍をあつく
めぐみ、終に都
へともなひ帰られ
しが、かの内侍
、公の請願の旨
且おのれらを、
恵み給へるさまの
あつきよし、入道
に訴へける程に、
程なく、大将に
任じ給ひぬ。是
近宗が方寸
出て実に平良が
智謀にも似たりと
    いふべし

百人一首一夕話 20 巻之六 3 蔵書

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二条の院の御時、故
京極大相國のつくり
給ふたる、笛譜の説を、
妙音院殿に勅聞有
けるに、いかにぞやと
おぼしきふし/"\、少々
奏せさせたまひ
けるを、其夜の
夢に、かの大相国
の御消息あり。
宗輔とかゝれ
     たり。
うせにし人の
いかにとあや
しみて、き
きみれば、
其かみなら
ひし道
をかたむけ、
奏し給ふ

こそ口惜う
侍れとかゝ
れたり。おど
ろきやがて
参内有て、かの
譜につきて申
せし事は、皆ひが
覚えにこそと、奏
し直させ給ひけるとぞ。
道因法師の没後に、
俊成卿、千載集を撰ま
れしに、かの法師の歌を
十八首まで加えられし。夢
に来りて、いたくよろこびを
のべて、泣けるとぞ。かれは恨
これはよろこぶ。ともに執心
の道に深き事こそ
    やんごとなけれ


平家物語に云、一門の人々
古郷を焼立る煙、おび
たゞしう立登るをみて、
各肝をひやして落ゆく
中にも、忠度は淀の河
尻迄下りけるが、
それより郎等六
騎相具し、しのびて
都に登り、夜半に
五条の三位の許に
来り、一門の栄花尽
はて、西海へ下り侍る。
世静まりて勅撰の
御沙汰あらんに、身
は八重の汐路に
沈むとも、後世
迄も朽ぬかたみ
と、傳はり侍れ
かしと、思出し
登り候。年比の
愚詠、波

のみくづと
なさん事
遺恨にとて、
鎧のひき
合より、巻
もの一巻
取出し、
三位へ遣
はし給へば、
泪を流し
   て
収めらるゝ。
件の巻物の中
に、さりぬべき哥、
いくらも有けれ
      ども
其身勅勘の人
なれば、名字を
あらはさず、古郷
花といふ題にて
よまれたる哥一首
ぞ、讀人不知と入
られたる云々


尚歯會は、白氏文集
の趣をうつして、多く
は詩會なりし○、
清輔朝臣の、
はじめる
和歌をもて、
行はれしは
いとめづら
   しく、
其後養和
二年の春、
賀茂の
重安、また
尚歯會を
おこ
 なふ
  に

和哥
を以
 は、
此時
七叟
の中、
俊恵
法師
あり、僧の
まじはり
 たる事、
 おぼつか
  なし
   とぞ
   申
    ける


和歌の風体をものに
たとへ、おもしろく
評しけるは、貫之が
古今の序をはじ
めと○、
俊恵、
亦人々
  の
○たを
ものによそ
    へて、


編こと

好めり。
故に

敷島の
道の、

をも
○る。
志わか
ものゝ、
導とも
 なりけり。
此道の
叔孫通
といふ
 べし

百人一首古説 かささぎの渡せる橋

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百人一首古説 賀茂真淵

是は則ち厳粛なる宮闕の寒夜に殿庭御橋等の霜の白きを見て夜の更たることを知るとなるべし。霜はいつあはれと月もなき寒夜の深更にしろ/\と見ゆるはまことに夜の更たる景のしるきものなり。とのゐなどに侍りて夜ふかく起出て見しけしきを述べたるか、又は十二門前の御橋を見て詠めるなるべし。
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