四つにて位につき給ひて、十五年おはしましき。おり給ひて後、土佐の院十二年、佐渡の院十一年、なほあめの下は同じことなりしかば、すべて三十八年が程、この國のあるじとして萬機のまつりごとを御心ひとつにをさめ、もゝのつかさを從へ給ひしその程、吹く風の草木をなびかすよりもまされる御有樣にて、遠きをあはれみ、近きをなで給ふ御惠み、雨のあしよりもしげければ、つの國のこやのひまなきまつりごとを聞き召すにも、なにはのあしの亂れざらん事をおぼしき、はこやの山の峰の松も、やう/\枝を連ねて千代に八千代を重ね霞の洞の御すまひ、幾春をへても空行く月日の限り知らずのどけくおはしましぬべかりつる世を、あり/\てよしなき一ふしに、今はかく花の都をさへたち別れ、おのがちり/”\にさすらへ、いそのとまやに軒を並べて、おのづからことゝふものととては、浦につりするあま小船、鹽燒くけぶりのなびくかたをもわがふるさとのしるべかとばかり、ながめ過ぎさせ給ふ御すまひどもは、それまでと月日を限りたらんだに、あす知らぬ世のうしろめたさに、いと心細かるべし。ましていつを果てとか、めぐりあふべき限りだになく、雲のなみ煙の浪のいくへとも知らぬさかひに、世をつくし給ふべき御さまども、くちをしといふもおろかなり。
後鳥羽院
生没:誕生 治承四年(1180年)-崩御 延応元年(1239年)
在位:寿永2年(1183年)-建久9年(1198年)
承久の変 承久3年(1221年)