左 凡河内躬恒
いづくとも春の
ひかりはわかな
くに
まだみよしのゝ
山は雪
ふる
中院殿通茂公
中院通茂
寛永八年(1631年)―宝永七年(1710年)三月
老内大臣と呼ばれ、有職、歌道、書道、音曲等に深い。熊沢蕃山門下。
小倉事件での舌禍により勅勘を被り長期間謹慎。
貞享四年(1687年)小倉事件をめぐる霊元天皇への暴言により出仕を止められ、元禄6年(1693年)まで謹慎生活を送る。
宝永元年(1704年)2月内大臣に任じられ、わずか3日にして辞退
宝永二年(1705年)従一位
平成30年10月31日 參點九/拾二