新古今和歌集の基礎的研究 蔵書
新古今和歌集の基礎的研究 後藤重郎著 塙書房刊 著者:後藤重郎 初版:昭和43年3月28日 発行:塙書房 序 ………高木市之助 序 ………久松潜一 序章 新古今和歌集成立史序説 第一章 選歌時代 第一節 新古今時代の黎明 第二節 和歌所設置・寄人任命・撰者選定 第三節 藤原定家の選歌と天神信仰 第二章 御點時代 第三章 部類時代 第一節 配當作業と配列作業 第二節 卷頭歌に關する問題...
View Article斎宮女御 琴の音に 公任 高辻豊長筆色紙コレクション
左 斎宮女御 琴のねに峯の 松風かよふら し いづれの緒より しらべそめけむ 拾遺集 野宮に、斎宮の庚申し侍りけるに、松風入夜琴といふ題をよみ侍りける 琴のねに峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ 徽子女王。斎宮に卜定され、帰朝後に村上天皇の女御になった。 高辻殿豊長卿 高辻豊長 寛永二年(1625年)―元禄十五年(1702年)六月...
View Article明月記 建永元年九月二十五日
明月記 建永元年 九月 廿五日。天晴る。清範早く参ずべき由を示す。巳の時、営みて参ず。述懐三首の歌、新古今に入るべし。書き出すべき由、仰せ事有り。又藤少将を召しに遣すと云々。午終許りに神泉に出でおはしますの後、少将と共に之を書き出さしむ。清範、神泉に持ちて参ず。即ち退出す。 ―略―。 述懐三首の歌
View Article遍昭 垂乳根は 公任 萩原員従筆色紙コレクション
右 僧正遍昭 たらちねはかゝれ り とてしもむば け たまのわがくろか む みはなでずやあ 後撰集 初めて頭おろし侍りける時、物に書きつけ侍りける たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ たらちめはかかれとてしもむばたまのわがくろかみをなでずやありけむ 萩原殿員從 萩原員従 正保二年(1645年)―宝永七年(1710年)...
View Article2つの大江山 小倉山百人一首
小式部内侍 大江山 いく 野ゝ みちの とを ければ まだ ふみも 見ず あまの橋立 ーーーーーーーーー ○小式部内侍 和泉守橘道貞 女母ハ和泉式部 上東門院女房 橘諸兄公十一世 ・仲遠───┐ ┌─────┘ └道貞───┐ ┌─────┘ └小式部内侍 新後拾 夏くさは しげりに けりな 大江山 越て いくのゝ 道見えぬ まで ーーーーーーーーーーーーーーーー...
View Article明月記 元久元年七月二十二日 部類開始
明月記 元久元年 七月 廿二日。天晴る。昏に大雨小雷。今日、撰歌の部類を始めらるべし。和歌所に参ずべき由、一昨日催し有り。仍て参入す。―略―。
View Article伊勢 三輪の山 公任俊成 園基福筆色紙コレクション
右 伊勢 三輪のやまいかに まち みん としふとも たづ ぬる 人もあらじと おもへば 古今 仲平の朝臣あひしりて侍りけるを、離がたになりにければ、父が大和の守に侍りけるもとへまかるとて、よみてつかはしける みわの山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば みわのやまいかにまちみむとしふともたずぬるひともあらじとおもへば...
View Article明月記 元久元年七月二十三日 部類留守に付けられる
明月記 元久元年 七月 廿三日。天晴る。歌の部類、留守に付けらる。仍て河陽に参ぜず。但し家長、清範を尋ぬるに皆参じ了んぬと云々。未の時、御幸し了んぬ。
View Article業平 世の中に 公任 吉田兼敬筆色紙コレクション
左 在原業平 朝臣 よのなかに たへてさくらの なかりせば はるのこゝろは のどけから まし 古今集 春歌上 なぎさの院にて桜を見てよめる 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし よのなかにたえてさくらのなかりせばはるのこころはのどけからまし 吉田殿兼敬卿 吉田兼敬 承応二年(1653年)―享保十六年(1732年1月)十二月...
View Article明月記 元久元年七月二十七日 春歌上下終る
明月記 元久元年 七月 廿七日。天晴る。家長夜部京に帰る。其の告げに依り、和歌所に参ず。大理、大府卿(雅)、羽林、家長会合す。羽林執筆。相構へて、春の上下、形の如くに功を終ふ。夕に退下す。家長坏酌瓜子を勧む。大理以下、柿本の影胙と称す。今夜の行幸、参ぜず。
View Article小倉山百人一首 かささぎの渡せる橋
中納言家持 かさゝぎの わたせる 橋に をく 霜の しろき を みればよぞ更 にける ーーーーーーーー ○中納言家持 天平元年己巳生ず 安丸孫旅人子云云 大伴宿祢安麿大 納言贈從二位大 伴宿祢旅人家持 大納言從二位八 雲御抄ニ曰万葉 の作者○ふきれ共 家持人丸赤人など を棟梁とせり一 説に天智天皇大 伴皇子与多都 牟麿黒主が弟の 夜須良丸は安 麿と同人也可尋 之從三位中納言東...
View Article躬恒 いづくとも 俊成 中院通茂筆色紙コレクション
左 凡河内躬恒 いづくとも春の ひかりはわかな くに まだみよしのゝ 山は雪 ふる 中院殿通茂公 中院通茂 寛永八年(1631年)―宝永七年(1710年)三月 老内大臣と呼ばれ、有職、歌道、書道、音曲等に深い。熊沢蕃山門下。 小倉事件での舌禍により勅勘を被り長期間謹慎。...
View Article源家長日記 女流歌人
此ころよに女の歌よみすくなしなど つねになげかせ給。むかしより歌よみときこゆる女房せうせう侍。 いんぶ門院の大輔も一とせうせにき。又さぬきみかはの内侍丹後少将など申人々も今はみなよはひたけてひとへに後の世のいとなみしてこゝかしこのいほりにすみなれて 歌のこともすたれはてたればときどき歌めされなどするも 念仏のさまたげなりとぞ うちうち なげきあへるときゝ侍
View Article百人一首頼常聞書 かささぎの渡せる橋
中納言家持 新古 かさゝきの渡せる橋にをく霜のしろきをみれは夜そふけにける 此哥の作者の親は大伴宿禰旅人のこと此旅といふ字をもちととよむなり。当流の口伝也。哥のこゝろはあまの川の事也。おもしろき躰の哥と也。此はしにさきのはねをならへて七夕をわたすなり。それをかさゝきの渡せる橋といふなり。をく霜の白きをいはんためか。 百人一首聞書 頼常聞書 頼常は、東常縁の子と推察されている。...
View Article人麻呂 ほのぼのと 公任 芝山広豊筆色紙コレクション
柿本人麿 ほの/"\とあかし のうらの朝きりに しまがくれゆく ふねをしぞおもふ 古今集羇旅歌 題知らず よみ人知らず ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ このうたある人のいはく柿本の人麿がうたなり ほのぼのとあかしのうらのあさぎりにしまがくれゆくふねをしぞおもう 芝山殿廣豊卿 芝山広豊 延宝二年(1674年)―享保八年(1723年)二月...
View Article明月記 元久元年八月七日 部類の沙汰の
明月記 元久元年 八月 七日。天晴る。巳の時許りに殿に参ず。御共して院に参ず。部類の沙汰あるべき由、昨日催すと雖も、皆病を称して参ぜずと云々。未の時、即ち御幸了りて退出す。殿下是より先、還りおはしますと云々。―略―。
View Article百人一首経厚抄 かささぎの渡せる橋
新古 かさゝきの渡せる橋にをく霜のしろきをみれは夜そ更にける 冬部 かさゝきの橋を読事此哥より始れり。此哥節々あれとも慥成不見。或一義寒夜の天漢の白きを見てかしこに鵲の橋も有こそすらめと推量りて渡せる橋にをく霜のと云也、と申儀を以て仮に可用之歟。追て有口伝。此哥を以て鵲を橋に霜を読事、口岑か哥に /鵲の渡せる橋に置霜を夜半にふみ分ことさらにこそ...
View Article三十六歌仙 12枚色紙評価
三十六歌仙 12枚色紙 宗于 豊岡殿有尚卿 承応三年(1654年)-天和二年(1682年)九月 信明 平松殿時方卿 慶安四年(1651年)-宝永七年(1710) 清正 清閑寺殿熙定卿 寛文二年(1662年)-宝永四年一月(1707年) 貫之 傳法院殿實治公(三条実治) 慶安三年(1651年)‐享保九年八月(1724年) 号は暁心院観照。 元禄二年(1689年)実治と改名。...
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