柿本人麿
ほの/"\とあかし
のうらの朝きりに
しまがくれゆく
ふねをしぞおもふ
古今集羇旅歌
題知らず よみ人知らず
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ
このうたある人のいはく柿本の人麿がうたなり
ほのぼのとあかしのうらのあさぎりにしまがくれゆくふねをしぞおもう
芝山殿廣豊卿
芝山広豊
延宝二年(1674年)―享保八年(1723年)二月
藤原北家高藤流勧修寺家庶流である芝山家3代当主。
左中将四辻季輔の次男として誕生。権中納言芝山定豊の養子となる。和歌、書画を能くした。
元禄二年(1689)、初名季寿を広豊と改名
正徳四年(1714)従三位
享保四年(1719)参議兼右衛門督。
平成30年10月31日 參點九/拾二