時代不同歌合の成立年については、樋口芳麻呂は、
①秀能の「久方の」は出家後の百首であるので、承久三年以降
②定家が権中納言、家隆が正三位から、貞永元年(1232年)~嘉禎元年(1235年)九月の間
③後鳥羽院二首、秀能一首は遠島御歌合の歌なので、嘉禎二年七月頃。
と異本間の差異により成立年を推計している。
②と③の矛盾について疑問を呈しているが、新古今の切出し入れの性格をみれば、一度成立後、自身と秀能の歌を差し替えたのは明白。
国語と国文学
昭和30年8月號
時代不同歌合攷18ー32p
①秀能の「久方の」は出家後の百首であるので、承久三年以降
②定家が権中納言、家隆が正三位から、貞永元年(1232年)~嘉禎元年(1235年)九月の間
③後鳥羽院二首、秀能一首は遠島御歌合の歌なので、嘉禎二年七月頃。
と異本間の差異により成立年を推計している。
②と③の矛盾について疑問を呈しているが、新古今の切出し入れの性格をみれば、一度成立後、自身と秀能の歌を差し替えたのは明白。
国語と国文学
昭和30年8月號
時代不同歌合攷18ー32p