百首ノ哥よませ侍けるに 入道前関白太政大臣
五月雨はおうの河原のまこも草からでやなみの下にくちなん
おうの河原とは、万葉三に、飫宇(オウノ)海の河原の千鳥云々。とある
所をよみ玉へるなるべし。出雲ノ国なり。
五月雨 定家朝臣
玉ぼこの道ゆき人のことづてもたえてほどふるさみだれの空
上句古歌をとられたれど、何の詮も見えず。さみだれに
似つかはしからず聞ゆ。
五十首ノ哥奉りし時
五月雨の月はつれなきみ山よりひとりもいづるほとゝす哉
大神宮に奉り給ひし夏ノ哥の中に
太政天皇御製
ほとゝぎす雲井のよそに過ぬなりなりはれぬ思ひの五月雨の比
本哥√秋ぎりのともに立出てわかれなばはれぬおもひに
恋やわたらむ。 四の御句は、五月雨のはれぬをかねて、御哥の
こひやわたらんの意をもたせて、よそに過ゆきし時鳥を、
こひやわたらむとなり。
題しらず 俊成卿
たれかまた花たちばなに思ひ出む我も昔の人となりなば
通具卿
行末をだれしのべとて夕かぜに契りかおかんやどのたちばな
行末は、わがなき跡なり。に°といふべきなれども、三の句のはて
のに°と重なる故に、を°といへり。を°のときは、ちぎりおかんへかゝる
なり。 四の句か°もじは、二の句のとての下にある意なり。然れ共
そこには置がたき故に、下へおけるにて、こゝろよからねども、ふるく
も此例あることなり。 一首の意は、我なくなりたらん後、た
れ花たち花のにほひに、我を忍べとてかは、今夕風契りおく
べきよしもなしとなり。 又は、上句を三二一と次㐧して、夕
風のにほはん時、たれにしのべえとてか、橘に契りおかむといへる
やうにも聞ゆれど、さにはあらじ。
百首ノ哥奉りし時夏哥 式子内親王
かへりこぬ昔を今とおもひねの夢のまくらににほふたち花
めでたし。下句詞めでたし。 二の句は、古哥の詞二句を一句に
つゞめてとれるにて、上句、昔を今になすよしもがなと思ひて
ねたるよしなり。と°もじにてさやうに聞ゆるなり。古哥
をかやうにとり用るは、此集のころのはたらきなり。
五十首ノ哥奉りし時 慈圓大僧正
五月やみみじかき夜はのうたゝねに花立ばなの袖に涼しき
たち花のにほひをさそひきて、袖にすゞしく吹風の、心よ
きまゝに、夜のみじかきを、あかず思へるよしなり。