式子内親王
まどちかき竹の葉すさぶ風の音にいとゞみじかきうたゝねの夢
朗詠に、風生竹夜窓間臥。 初句うたゝねによし有。
二の句すさぶといふ詞おもしろし。ひたすら吹にもあらず。をり
をりそよめくさまにて、夏のよによくかなへり。よのつねならば、
そよぐとよむべきを、かくあるにて、殊にけしきあり。一言といへ
ども、なほざりにはよむべからず。心を用ふべきわざなり。
四の句はさらでだに夏の歌にてみじかき夢なるにいとゞなり。
五十首ノ歌奉りし時 慈圓大僧正
結ぶ手に影みだれゆく山の井のあかでも月のかたぶきにけり
本歌√むすぶ手の雫にゝごる山の井の云々。 山の井を結ぶ
に夏の意あり。 手してむすべば、水の動きて、うつれる
月の影のみだるゝ故に、夏の夜のみじかきうへに、いとゞしづ
かに見る程もなく、あかでかたぶくとなり。
最勝四天王院ノ障子に清見泻かきたる所
通光卿
清美がた月はつれなき天の戸をまだでもしらむ波のうへ哉
二の句は、つれなく残りて、いまだ入らぬをいふ。 三の句、天は結句
の浪のうへにむかへていへり。戸は、所あらおのづから関の戸に
も縁あり。を°は、なる物をの意とも聞え、又をまたでとつゞき
ても聞ゆ。 下句は、月の入るをまたで、浪ははやしらみて、夜の
明るをいひて、夏の夜のあけやすきさま也。 さて四の句、
戸の縁に明るといふを、さはいはで、しらむといへるは、かへりて
巧也。そは二の句も、月は入らぬといふ意なるを、さはいはず。こゝも
明るといふ意なるを、ことさらにさはいはずして、共に戸の縁語
の、入らぬ明るをば、詞に顕さずして、意にもたせたるものなり。
そのうへ波のうへは、あくるといはんよりは、しらむといへるぞ、
けしきもまされる。
家の百首ノ哥合に 摂政
かさねてもすゞしかりけり夏衣うすきたもとに宿る月かげ
初句は、衣に月影をかさぬる也。つねに衣を重ぬれば、暑き
ものなるに、これは月影なれば、すゞしとなり。
摂政の家にて、詩哥を合せけるに、水邊自秋涼と
いふことを
すゞしさは秋やかへりてはつせ川ふるかはのべの杉のしたかげ
めでたし。詞めでたし。 題、自秋涼は漢文にては、涼于
秋と書くことなれども、歌の題にさやうにかゝむは、中々に
いうならねば、かく書ならへり。 三の句は恥(ハジ)といひかけたり。
二の句のや°もじは、はつの下にある意にて、此ふる川のべの杉
の下陰のすゞしさには、秋も却てはぢやせんといふ意なり。
題をめづらかによくよみかなへられたり。 或抄に、秋や
かへりてはてたるといひかけたり。あまりすゞしさに、秋もかへり
て、冬になりたるかといへる也といへるは、いみじきひがごとなり。
秋やかへりてはてたるとは、いかなることぞや。 又或説に、秋や
かへりてふるさるゝと、四の句へいひかけたりといへるも、ひがごとなり。
さてはかへりてといふ詞聞えず。