新古今和歌集美濃の家づと二の卷
秋歌上
百首哥の中に 家隆朝臣
きのふだにとはんと思ひし津の国の生田の杜に秋は來にけり
本歌√君すまばとはましものを云々。 何故にきのふだに
とはんとおもひしにか、こゝろ得ず。
最勝四天王院の障子に高砂かきたる所
秀能
吹風の色社見えね高砂のをのへの松に秋は來にけり
上二句、√秋きぬとめにはさやかに見えねどもの意にて、風は
色のみえぬ意と、松なる故に、秋の色の見えぬ意とをかねたり。
百首哥奉りし時 俊成卿
ふしみ山松のかげより見わたせばあくる田面に秋風ぞふく
守覚法親王家五十首歌に 家隆朝臣
明ぬるか衣手寒しすがはらやふしみの里の秌のはつ風
下句詞めでたし。 伏見といふに、寐てある意をもたせ
たり。 さて此哥、委くいはゞ、明ぬるかといへるか°もじの疑
ひは、夜の明で、秋の初風のふくかと、秋の初風へもかゝらで
は、たしかならず。されどかやうの趣は、ほのかなるも哥也。
千五百番哥合に 摂政
深草の露のよすがを契にて里をばかれず秋は來にけり
めでたし。上句詞いとめでたし。 初句、里の名に、深き草
の意をかねたり。 二の句よすがは、より所にて、露を秋の
より所とする意なり。それを露のよすがといふは、たとへば、
人の花をながむるを、花のながめといふたぐひ也。 ちぎり
は縁也。さて此二三の句は、露をよすがにてとか、ちぎりにてとか
いひて、ことたれるを、よすがとちぎりとをいへるは、詞の七五にた
らざるが故也。 四の句は√今ぞしるくるしき物と云々の哥の詞也。
通具卿
哀れ又いかに忍ばん袖の露野原の風に秋は來にけり
又といへるに、もとより袖の露けき意をこめたり。 忍ぶは
たへ忍ぶなり。 野原といふは、えんならざる詞なり。
具親
しき妙の枕のうへに過ぬなり露をたづぬる秋のはつ風
めでたし。下句詞いとめでたし。 涙にぬれたる枕のあ
たりに、秋の初風の吹來るを、露をたづぬるといひなせる也。
露は秋のよすがなれば、尋ね來るよし也。 過ぬなりと
は、たゞ吹來る意なり。すぎ去意にはあらざる故に、を°といはず
して、に°といへり。されお此に°もじ、過といふには、いさゝか似つ
かはしからず聞ゆ。 此哥、ふるき抄に、いろ/\説あれ
ど、みなひがごとなり。