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Channel: 新古今和歌集の部屋
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鴨長明方丈記之抄 日野の庵5 芸はこれ拙ければ

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つる。藝はこれつたなければ、人の耳

を悦ばしめんとにもあらず。ひとりしら

べひとり詠じてみづから心をやしなふ

斗也。又麓に一の柴の庵あり則此

山守が居るところ也。かしこに小童有。

時〃来て相訪ふ。もしつれ/"\なる時は

これを友としてあそびありく。かれは十六

歳、われは六十其齢事の外なれど心を

なぐさむる事はこれ同じ。或はつ花を

ぬき岩なしをとる又ぬかごをもり芹

をつむ。或はすそはの田井に到りて

      つる。芸はこれ拙ければ、人の耳を悦ばしめんとにもあ らず。独り調べ、独り詠じて、自ら心を養ふばかりなり。 又、麓に一の柴の庵あり。則ち、この山守が居る所なり。 かしこに小童有。時々来て、相訪ふ。もし、つれづれな る時は、これを友として遊びありく。彼は十六歳、我は 六十。その齢、事の外なれど、心を慰さむる事は、これ 同じ。或は、茅花を抜き、岩梨を採る。又ぬかごをもり、 芹を摘む。或は、すそはの田井に到りて、   (参考)前田家本 操る。藝はこれ拙けれども、人の耳を喜ばしめんとにもあ らず。独り調べ、独り詠じて、自ら心を養ふばかりなり。 又麓には一つの柴の庵有り。即ちこの山守が居る所也。 かしこに小童有り。時々来たりて、相訪ふ。もし徒然な る時は、これを友として遊行すれば、十歳、これは 六十、その齢殊の外なれど、心を慰むる事、これ 同じ。或は茅花を抜き、岩梨を取り、零余子を盛り、 芹を摘む。或は裾輪の田居に至りて、   (参考)大福光寺本 ツル。芸ハコレツタナケレトモ人ノミゝヲヨロコハシメムトニハア ラス。ヒトリシラヘヒトリ詠シテミツカラコゝロヲヤシナフハカリナリ。 又フモトニ一ノシハノイホリアリ。スナハチコノ山モリカヲル所也。 カシコニコワラハアリトキトキキタリテアヒトフラフ若ツレツレナ ル時ハコレヲトモトシテ遊行ス。カレハ十歳コレハ 六十。ソノヨハヒコトノホカナレト心ヲナクサムルコトコレ ヲナシ。或ハツハナヲヌキイハナシヲトリヌカコヲモリ セリヲツム。或ハスソワノ田イニイタリテ    

  みづから心をやしなふ  孟子曰、我善養吾浩  然之氣     つれ/"\なるときは  つれ/"\にしづかなるとき  さびしきといへる二義あ  り。こゝはさびしき義な  るべし。またその外  の義もあり。     日野 明和九年 方丈庵跡碑  

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