為仲ミヤギノヽ萩ヲホリテノボル事
この為仲任はてゝのぼりける時みやぎ野の
萩をほりとりてながひつ十二合に入てもて
のぼりければ人あまねくきゝて京へいりけ
る日は二条のおほぢにこれをみ物にして人
おほくあつまりて車などもあまたゝてりける
とぞ。
為仲ミヤギノヽ萩ヲホリテノボル事
「この為仲、任果てゝ上りける時、宮城野の萩を掘り取りて、長櫃
十二合に入て、持て上りければ、人、あまねく聞きて、京へ入りけ
る日は、二条の大路に、これをみ物にして、人多く集まりて、車な
どもあまた立りける」とぞ。
※この段は、前段の「五月かつみ葺事」の続き。
※為仲 橘為仲。義通の男。陸奥守を経て太皇太后宮亮正四位下となる。
※任果てて 承暦四年(1075年)ごろと推察されている。
※宮城野の萩 歌枕で萩が有名。今の仙台市若林区、陸奥国分寺北部一帯と考えられる。
※合 箱の数詞。つまり長櫃12箱で運んできたと言う事。