今、日野山の奥に跡を隠して、南に仮の日隠しをさし出
だして、竹のすのこを敷き、その物に閼伽棚を作り、中
には西の垣に添て、阿弥陀の画像を安置し奉りて、落日
を請て、眉間の光とす。彼の帳の扉に、普賢並びに不動
の像を掛けたり。北の障子の上に、小さき棚を構へて、
黒き皮籠三・四合を置く。すなはち、和哥・管弦・往生
要集ごとき抄物を入れたり。傍に、箏・琵琶各々一張を
立つ。いはゆる折箏、継ぎ琵琶、これなり。東に沿へて、
わらびのほどろを敷き、つかなみを敷て、夜の床とす。
東の垣に窓を開けて、ここに文机を作り出だせり。枕の
方に、炭櫃あり。これを、柴折り焼ぶるよすがとす。庵
の北に、少地を占め、あばらなる姫垣を囲ひて、園とす。
すなわち、諸々の薬草を栽へたり。仮の庵の有樣、かく
の如し。
その所の樣をいはば、南に懸樋あり。岩をたたみて、水
を溜めたり。林・軒、近ければ、爪木を拾ふに乏しから
ず。名を外山といふ。正木のかづら跡を埋めり。谷、繁
けれど、西は晴たり。観念のたより、無きにしもあらず。
春は、藤波を見る。紫雲の如くして、西の方に匂ふ。夏
は、時鳥を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る。秋
は、ひぐらしの声、耳に満てり。空蝉の世を、悲しむと
聞こゆ。冬は、雪を憐む。積もり消ゆる樣、罪障に喩へ
つべし。もし、念仏物憂く、読経まめならざる時は、自
ら休み、自ら怠るに、妨ぐる人も無く、又、恥べき友も
なし。殊更に、無言をせざれども、独り居れば、口業を
修めつべし。必ず禁戒を守るとしもなけれども、境界な
ければ、何につけてか破らん。もし、跡の白波に身を寄
する朝には、岡の屋に行きかふ舟を眺めて、満沙弥が風
情を盗み、もし、桂の風、ばちを鳴らす夕には、潯陽の
江を思ひやりて、源都督の流れを習ふ。もし、余り興あ
れば、しばしば松の韻き、秋風の樂をたぐへ、水の音に、
流泉の曲をあやつる。芸はこれ拙ければ、人の耳を悦ば
しめんとにもあらず。独り調べ、独り詠じて、自ら心を
養ふばかりなり。
又、麓に一の柴の庵あり。すなはち、この山守が居る所
なり。かしこに小童有り。時々来て、相訪ふ。もし、つ
れづれなる時は、これを友として、遊びありく。彼は十
六歳、我は六十。その齢、事の外なれど、心を慰さむる
事は、これ同じ。或は、茅花(つばな)を抜き、岩梨を
採る。又、零余子(ぬかご)をもり、芹を摘む。或は、
すそはの田井に到りて、落穂を拾ひて、穂組を作る。も
し、日うららかなれば、嶺によぢ登りて、遙に故郷の空
を望み、木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師を見る。勝地
は、主なければ、心を慰むるに障りなし。歩み煩ひなく、
志、遠く至る時は、これより峯つづき、炭山を越え、笠
取を過て、岩間に詣で、石山を拝む。若しは又、粟津の
原を分けて、蝉丸翁が跡をとぶらひ、田上川を渡りて、
猿丸大夫が墓を尋ぬ。帰るさには、折につけつつ、桜を
狩り、紅葉を求め、蕨を折り、木の実を拾ひて、且つは
仏に奉り、且は家づとにす。
もし、夜静かなれば、窓の月に古人を偲び、猿の声に袖
をうるほす。草むらの蛍は、遠く真木の嶋の篝火に紛ひ、
暁の雨は、自づから、木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほ
ろほろと鳴くを聞て、父か母かと疑ひ、峯のかせぎの近
く馴れたるにつけても、世に遠ざかる程を知る。或は、
埋火をかき起こして、老の寝覚めの友とす。恐ろしき山
ならねど、梟の声を憐むにつけても、山中の景気、折に
つけても、尽くる事なし。いはんや、深く思ひ、深く知
れらん人の為には、これにしも限るベからず。
写真1及び写真2 賀茂別雷神社河合神社 方丈庵復元 写真3 楽琵琶 写真4 日野山供水峠 写真5 大津市曽束 写真6 田上川(現大戸川) 宇治田原町 猿丸神社 鴨長明方丈記之抄 明暦四年版