大方、世をのがれ、身を捨しより、恨みもなく、恐れも
なし。命は、天運にまかせて、惜しまず、厭はず。身を
ば、浮雲になずらへて、頼まず、まだしとせず。一期の
楽しびは、転寝の枕の上に極まり、生涯の望みは、折々
の美景に残れり。
それ、三界は、ただ心一つなり。心、若し安からずは、
牛馬七珍も由なく、宮殿望み無し。今、寂しき住ゐ、一
間(いつけん)の庵、自らこれを愛す。自づから都に出
でては、乞食(こつじき)となれる事を、恥づと云へど
も、帰りて、ここに居る時は、他の俗塵に着する事を哀
れぶ。もし人、この云へる事を疑はば、魚鳥の有樣を見
よ。魚は、水に飽かず。うほにあらざれば、その心を知
らず。鳥は、林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知ら
ず。閑居の気味(きみ)も、又、かくの如し。住ずして、
誰か悟さん。
そもそも、一期の月影かたぶきて、余算山の端に近し。
たちまちに、三途の闇に向はん時、何の業をか、かこた
んとする。仏の人を教へ給ふおこりは、事に触れて、執
心なかれとなり。今、草の庵を愛するも、とがとす。閑
寂に着するも、障りなるべし。いかが、要なき楽しみを
述べて、空しく、惜ら時を過ごさん。
静かなる暁、このことはりを思ひ続けて、自ら心に問ひ
て曰く、世をのがれて、山林に交じはるは、心を修めて、
道を行はん為なり。しかるを、汝が姿は、聖に似て、心
は、濁りにしめり。住家は、すなはち、浄名居士の跡を
汚せりといへども、保つところは、僅かに周梨槃特が行
ひにだにも及ばず。もし、これ、貧賤の報の自ら悩ます
か。はた又、妄心の至りて、狂はせるか。その時、心、
更に答ふる事なし。ただ、傍に舌根をやとひて、不請の
念仏、両三返を申して、止みぬ。
時に、建暦の二とせ、弥生の晦日ころ、桑門蓮胤、外山
の庵にして、これを記す。
月影は入る山の端もつらかりき絶えぬ光を見るよしもがな
上 写真1 鴨川
写真2 栢杜遺跡から見た日野北山
写真3 日野の小山
国土地理院地図を使った方丈庵と伏見淀川の眺望による位置の推計
日野付近の標高100m
鴨長明方丈記之抄 明暦四年版