八雲抄巻第一 正義部
一 わざとよみたる同事、病にて病ならず。たとえば、徽
子哥合勝。やへさけるかひこそなけれ款冬のちらばひ
とへもあらじとおもへば
又、寛和(勝長能)
ひとへだにあらぬ心をいとゞしく
やへかさなれる山ぶきのはな
又、「ねぬる夜の夢をはかなみまどろへばいやはかな
にも」などいへるなり。
一 風と木からしと、六帖
木がらしの音きく秌はすぎにしを
今もこずゑにたえずふく風
是は、例なれど病也。尤可難。
一 同さまの鄙詞一首中一所はゆるす。二所、三所は難
之。匡房曰、「などかさこそならめ、在一首を難也。」
一 重言は、病にあらざれども難之。基俊申云、「『さ衣のた
もとはせばし』といへるかをば同事」といへり。誠可然。大炊御
門右大臣哥「袖のしづく」といひて、又、「こひのなみだ」とよ
めり。基俊難之。是も心が同事なる也。
一 詠古哥、わざと本哥としたるは、少々はゆるす。近代
過法事多歟。忠隆が二句、古哥なるは非強難とて勝
畢。二句ながらつゞきたるもやうによるべし。
一 得花詠落花、得紅葉詠落葉事、寛和、永承、承暦
並高陽院哥合に有之。皆不難。月又同之、有例。得恋
無。恋字更々非難。承暦並郁芳門院根合有沙汰。同判
者有斟酌歟。惣沙汰外事なり。天德、朝忠が「人をもみを
も」など引例歟。近代は、恋字あるはすくなし。應和哥合、持
時鳥、佐理「さみだれにふりいでゝなけとおもへどもあすのあ
やめのねをのこすらん」。此哥、時鳥といはねども、勝畢。い
づれの題も可准之。まして、古今以下恋といはぬ恋
の哥、不可勝斗。更々非難云々。
一 祝に、詠栄花事、家成家哥合に、基俊が、松ばかりの
長寿無詮。栄花は、不祝。以遐齢為祝なり云々。 抑花山院
哥合に、弾正宮の「万代もいかでかはてのなかるべき仏に
君ははやくならなん」といふ。是は、珍事也。
一 郭公題、未聞事。或難之。高陽院哥合、顕綱哥未聞、左
哥は聞とて、經信判右負。根合雅俊又負畢。但、哥合有二首云々。
一 詠述懐不難。寛和、花山御製、近代多。
一 詠恋不普通。寛和、惟成霧哥に詠恋云々。但、是も非恋歌。
あづまぢに行かふ人の恋しきに
あふさか山は霧たちにけり
恋しとはよめども、非恋心。羈旅に思旅人は恋
には、あらざるなり。
一 侵傍題、天德、寛和已後多。但、可依事。暮春と花など
は、無憚。鴬・郭公等物は、不可侵也。
一 誹諧哥、寛平后宮哥合、興風、棟梁、在古今。但、不可詠之。
一 逢不遇恋は、尋常は、逢後亦不逢也。而乍對面無実事
云々。是非説也。但、源氏物語匂兵部卿、取付筑波人。逢後
不逢由を哭云々。
※読めない部分は、国文研鵜飼文庫を参照した。
※やへさける 麗景殿女御歌合 款冬 右勝 よみ人知らず 八重咲けるかひこそなけれ山吹のちらばひとへもあらじと思ふに 金葉集初度本、三奏本、詞花集
※ひとへだに 寛和二年内裏歌合 款冬 左勝 長能 金葉集初度本、三奏本、詞花集
※ねぬる夜の 古今和歌集巻第十三 恋歌三 644在原業平 伊勢物語 百三段
ねぬる夜の夢をはかなみまとろめはいやはかなにもなりまさるかな
※木がらしの 古今和歌六帖 208
木枯しの音にて秋は過ぎにしを今もこすゑに絶えず吹く風
※さ衣の 元永元年内大臣歌合 十一番左両判負
狭衣の袂はせばしかづけども時雨の雨は心して降れ
判 基云、狭衣と云ひて、せばしとは、いかによまれたるにか。四条大納言の式には、浅歌重言とて、わろき事にぞして侍る。
※大炊御門右大臣 徳大寺公能。袖のしづく歌は、不明。
※忠隆 不明。藤原忠隆(1102−1150)。鳥羽院近臣。
※承暦並 承暦二年内裏歌合 十五番 左負 内蔵頭定綱
わたつみにみるめもとむるあまだにもちひろのそこにいらぬものかは
判 右の人、左の歌はいづこに恋はあるぞ。あまだに千尋の底にはいる。我もいらんと思ふらんもすずろがましき心地すといふに、左も右も皆笑ひぬ。
※郁芳門院根合 郁芳門院根合 五番 恋 右 小別当(左兵衛督俊実)
思ひあまりさてもやしばしなぐさむとただなほざりにたのめやはせぬ
判 左方申云、右方之歌詞中ニ無恋字。已思之歌也。如何。右方申云、昔天徳之歌合之中に、「あふことのたえてしなくばなかなかに人をも身もうらみざらまし」 者、此歌無恋字。左方申云、然者、此証歌、彼時負也。右方申云、尤不然、勝之歌也。。。左方重申云、去承暦殿上歌合、左之恋歌云、「わたつみのみるめもとむるあまだにもちひろのそこにいらぬものかは」此歌、依無恋詞。已為負。彼時判者(※源顕房)、已今日之判者也。如何。而推為持、左方大憂也。
※人をも身をも 天徳四年内裏歌合 恋 十九番 左勝 藤原朝忠
あふ事のたえてしなくば中中に人をも身をも怨みざらまし
※さみだれに 応和内裏歌合 侍従佐理
五月雨にふりいでて鳴けと思へどもあすのためとやねをのこすらむ
※家成家哥合 不明。藤原家成の哥合には、久安五年右衛門督家成家歌合が完本として残っているが、この時基俊は死亡しているので、この歌合ではない。家成は、長承四年(1135年)頃以降数回歌合を行なっているので、それのどれかかも知れない。
※万代も 花山院歌合 祝 右 弾正宮上
※顕綱歌 高陽院七番歌合 三番 右負 顕綱朝臣
明くるまでまちかね山のほととぎすけふも聞かでや暮れむとすらむ
判 左は、ほととぎす聞きたる歌なり。右のは、まだ聞かねば、先々も聞きたるをぞ。まさるとは申すめる。
※根合雅俊 郁芳門院根合 郭公 右負 右兵衛督雅俊
鳴かずとてうちも伏されずほととぎす声待つ人もねかたかりけり
※但〔在納言〕哥合有二首 民部卿家歌合 郭公 一番左勝、十番左勝?在納言は、在原行平で本書では闕。
※寛和花山御製 寛和元年内裏歌合 露 (花山)御
荻の葉における白露玉かとて袖につつめととまらざりけり
※寛和惟成 寛和二年内裏歌合 霧 右持 惟成
あづまぢにゆきにし人も恋しきに逢坂山は霧たちにけり
※興風棟梁在古今 古今和歌集巻第十九 誹諧歌 寛平御時后宮の歌合の歌
在原棟梁 1020
秋風にほころひぬらしふちはかまつつりさせてふ蟋蟀なく
藤原興風 1031
春霞たなひくのへのわかなにもなり見てしかな人もつむやと
※源氏物語匂兵部卿取付筑波人。 源氏物語 四十二帖 匂宮。ただし、筑波人というものは記載無い。五十帖東屋で、浮舟を筑波山と表現しているので、同じく東屋四章二段に、匂宮が中君の洗髪中に浮舟に取り付く事件があり、それを指しているか?