空蝉
「昼より、西の御方の渡らせたまひて、碁打たせ給ふ」と言ふ。さて向かひゐたらむを見ばやと思ひて、やをら歩出でゝ、簾のはざまに入給ひぬ。この入つる格子はまだ鎖さねば、隙見ゆるに、寄りて西ざまに見通し給へば、この際に立てたる屏風、端の方おし畳まれたるに、紛るべき几帳なども、暑ければにや、うち掛けて、いとよく見入れらる。
火近う灯したり。母屋の中柱に側める人やわが心かくると、まづ目とどめ給へば、濃き綾の単衣襲なめり。何にかあらむ表に着て、頭つき細やかに小さき人の、ものげなき姿ぞしたる。顔などは、差向かひたらむ人などにも、わざと見ゆまじうもてなしたり。手つき痩せ痩せにて、いたうひき隠しためり。いま一人は、東向きにて、残るところなく見ゆ。 白き羅の単衣襲、二藍の小袿だつもの、ないがしろに着なして、紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげに、つぶ/"\と肥えて、そぞろかなる人の、頭つき、額つきものあざやかに、まみ口つき、いと愛敬づき、はなやかなる容貌なり。髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、下り端、肩のほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなる人と見えたり。
夕顔
そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて、預り召し出づるほど、荒れたる門の忍ぶ草茂りて見上げられたる、たとしへなく木暗し。霧も深く、露けきに、簾をさへ上げたまへれば、御袖もいたく濡れにけり。
「まだかやうなることを慣らはざりつるを心尽くしなることにもありけるかな。いにしへもかくやは人の惑ひけむ我がまだ知らぬ東雲の道慣らひ給へりや」と宣ふ。女、恥らひて、
「山の端の心も知らで行く月はうはの空にて影や絶えなむ心細く」とて、もの恐ろしうすごげに思ひたれば、
「かのさし集ひたる住まひの慣らひならむ」と、をかしくおぼす。
御車入れさせて、西の対に御座などよそふ程、高欄に御車引き掛けて立ち給へり。右近、艶なる心地して、来し方のことなども、人知れず思ひ出でけり。預りいみじく経営しありく気色に、この御あり樣、知りはてぬ。
源氏物語図屏風 右雙第一扇
宮内庁三の丸尚蔵館 旧桂宮家伝来 狩野探幽画 元は八条宮家(桂宮)所有で、寛永十九年に、八条宮智忠親王の元へ嫁いだ加賀藩主前田利常女、富姫の嫁入り道具として制作。桂宮家から寄贈され、御物となった。 令和2年11月17日 點四/八枚
源氏物語図屏風 右雙第一扇
宮内庁三の丸尚蔵館 旧桂宮家伝来 狩野探幽画 元は八条宮家(桂宮)所有で、寛永十九年に、八条宮智忠親王の元へ嫁いだ加賀藩主前田利常女、富姫の嫁入り道具として制作。桂宮家から寄贈され、御物となった。 令和2年11月17日 點四/八枚