九段 八橋 天知書色紙
四十昔、わかき男、げしうはあらぬ女を思ひけり。さがしらするおや有てお
ほか
もひもぞつくとて、此女を外へをひやらんとす。さこそいへ、まだおひやらず人の子
なれば、まだ心いきほひなかりければ、とゞむるいきほひなし。女もいやしければ、す
ちから にはか
まふ力なし。さる間に思ひはいやまさりにまさる。俄に此女をおひうつ男ち
なみた
の涙をながせども、とゞむるよしなし。ゐて出ていぬ。男なく/\よめる
出ていなばたれかわかれのかたからん有しにまさるけふはかなしも
と、よみでたへ入にけり。おやあはてにけり。なを思ひてこそいひしが、いと
かくしもあらじと思ふに、しんじちにたへ入にければ、まどひて願たてけり。
けふの入相ばかりにたへ入て、又の日のいぬの時ばかりになん、かろうじていき
をきな
出たりける。昔のわか人はさるすける物思ひをなんしけり。今の翁まさにしなん
四十一むかし、女はらからふたり有けり。ひとりはいやしき男の、まづしき、一人は
あてなる男もたりけり。いやしき男もたる、しはすの晦日に、うへのきぬをあらひ
て手づからはりけり。心ざしは、いたしけれど、さるいやしきわざもならはざり
けれは、うへのきぬのかたをはりやりてげり。せんかたもなくて、たゞなきにな
きけり。是をかのあてなるをとこ聞て、いと心ぐるしかりければ、いときよら
なるろうさうの、うへのきぬを見出てゆるとて
古今
むらさきの色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける
むさし野のこゝろなるべし
四十二昔、男、色ごのみとしる/\、女をあひいへりける。されどにくゝ、はたあら
ざりけり。しば/\いきけれど、猶いとうしろめたく、さりとていかで、はたえ有まじ
はかり
かりけり。猶はたえあらありける中成ければ、二日三日斗さはる事有て、ゑいかでかく
なん
出てこしあとだにいまだかはらじをたがかよひぢといまはなるらん
ものうたがはしさによめるなりけり
四十三昔、かやのみこと申すみこ、をわしましけり。其みこ、女をおぼしめして、
いとかしこく、めぐみつかふ給ひけるを、人なまめきて有けるを、我のみとお
もひけるを、又人きゝ付てふみやる。ほとゝぎすのかたをかきて
さと
ほとゝぎす、ながなく里のあまた有は、なをうとまれぬ思ふ物から
と、いへり。この女けしきをとりて
た
名のみたつ、しでの田をさはけさぞなくいほりあまたとうとまれぬれば
※かやのみこ 賀陽親王、桓武天皇の親王、平城、嵯峨、淳和天皇弟。伊登内親王の兄なので、業平の伯父にあたる。
時はさ月になんありける。おとこかへし
こゑ
いほりおほきしでの田をさはなをたのむわがすむ里に聲したへずば