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田兒之浦從 うひまなび

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百人一首 宇比麻奈備 賀茂真淵

 

山部赤人

山部宿禰は顕宗天皇元年、来目部小楯てふ人に

山部連姓を賜り、其後天武天皇十三年に宿

禰となしたまふ。日本紀。赤人もその氏にて、

万葉の中みな山部ノ宿禰赤人と書たり。然るに古

今の真名序に、山辺赤人と書たるはひがごとぞ。

山辺氏は、続日本紀、光仁天皇の条。宝亀年

中に、和気王及諸王等賜山辺真人と有て氏

かべねともに別也。同紀の延暦四年五月の詔に、

先帝御名 白壁 及朕名 山部 自今以後宣

並改避於是改姓白髪部為真髪部、山部為

山と有。山辺は唱へのことなる故に、同延暦

十二年の紀に、山辺真人春日てふ人姓氏ともに

もとのまゝにて入たり。後世も山部を也麻倍、

山辺を也麻能倍と唱へ来れるは、もとよりのわ

かち也。さて赤人も万葉の外には見えず。祖父

官位も考ふるよしなし。是も人まろなどの如く、

大舎人などなりけん。東にての歌あるは、国

官とはきこえず、班田使などの下司にて下り
     ※頭1
しにや。時代は万葉 巻六 に、神亀元年より

天平八年までの歌見えたれば、元正天皇の御時

よりして、聖武天皇の御代のなかばまで在し人

なりけり。上総国に山辺郡ありて、赤人の東

にてよみし歌もあれば、此国より出たる人也な

どいふは、姓氏の事もしらぬものゝことは也。

地にていはゞ、大和ノ国にも山ノ辺ノ郡はあれど、此

氏山ノ辺にあらぬこと上にいふか如し。さて、ひ
                ※頭2
だりの歌より上四首は万葉の歌也。凡万葉は貞

観の御時だに、撰の時代おぼつかなくなれる書

にて、爾来定論なきが故に、古今後撰にとりた

る歌すらあやまり多かり。漸仙覚律師が諸本を

考へたりといへど、此人いまだしけれは、ひが

こと数へがたし。況その訓のあやまり思ひは

かるべし。近き世に浪華の契沖が説に、二三階

を定めたれど、皇朝の学少なければ猶違ひ多し。

平安の東麻呂うしの論に、四五階なりたり。今

真淵が考などくはへても、猶十に満ることなし。

然るをさきつ世のひと/"\只今の歌の言をとら

ん為のみに見るからは、その歌をも言をもすべ

て思ひたがへり。

たごの浦にうち出てみれば白たへの

ふじのたかねに雪はふりつゝ

       ヤマベノスクネアカヒトミサケテフジノヤマヲヨメル
万葉 巻三。に、山部宿禰赤人望不二山作
ウタ タ ゴ ノ ウラ ユ   ウチデヽミレ バ  マ シロ ニゾ フ シ  ノ タカ ネ      
歌 田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺
ニ  ユキハ フリ ケ ル
爾 雪波零家留と有。此歌は先地のさまをしりて

後に意を知るべし。田子ノ浦は駿河ノ国庵原ノ郡にあり。

続日本紀に、天平勝宝二年三月 駿河ノ国従五位

下楢原造東人等、於部内廬原ノ郡多胡ノ浦浜ニ獲

黄金献之、云云。万葉 巻三 に、田口ノ益人ノ大

夫任上野ノ国司ニ 続日本紀。和銅元年三年。至
            イホハラノ   キヨミ ガ サキノ
駿河国清見崎作歌二首、廬原乃、清見之崎乃、
ミ ホ ノ ウラ ノ    ユタニミエツゝ モノモヒ モ ナ シ    ヒルミレ ド  ア
三穂乃浦乃、寛見乍、物思毛奈信、昼見謄、不
カヌタ ゴノウラ オオキミノ  ミコトカシコミ ヨルミツルカモ
飽田児浦、大王之、命恐、夜見鶴鴨、また延

喜 神名 式に、廬原ノ郡御穂神社、和名抄に、駿

河ノ廬原ノ郡廬原息津といへるなどを考ふるに、清

見おきつ田児は同郡にて、清見の東につゞきて田

児のうらにあるを知べし。富士の山は富士の郡にあ

りて、隣郡ながらいとはるかにへだゝれり。か

くて古への海道は今のさつた坂の山陰の礒伝ひに
※頭3
て、清見潟浪の関守とよめる此ところ也。その

さつた山の東の倉沢てふところに来れば富士は見
サケ
放らる。この所より東に廻りたる入海のさまい

とおもしろ気に。その入江ごしの東のかたに。ふ

じはみゆ。此辺みな田子の浦也。さて此田子の
          フ  ジ
うらより打出て見れば不尽の高ねの雪の真白に天

に秀たるを、こはいかでとまで見おどろきたるさ

ま也、何事もいはで有のまゝにいひたるに、其時

其地その情おのづからそなはりて、よにも妙なる
      ミジカウタ   タヘ
歌也、赤人は短歌に神妙なる事此一首にてもし
              ユ      ヨリ
らる、田児ノ浦従の従は、古へ由とよみて、即与利

といふことなれば、此歌もたごのうらゆとよむべ

し。かくて過こし礒もこゝも同じ田児の浦ながら、
        ノゾミ
かの山陰を打出て望し故に、田児の浦従打出て

みればといへる也。打はふりかきなどいふ類にて、
             コトオコスコトバ
物をひたすらおもひいふ時の発言也。出而
    デテ  カナ
は万葉に伝弖と仮名に書し所多し。仍てこゝもう
        ※頭4
ちてゝみれはと唱ふべし。真白衣はましろにぞと
            ケル
よむべし。ぞといひて末を家留とゝめたる也。朗

詠集その外にも、此歌の三の句をしろたへ、末を

降つゝとて、題しらすと有は、万葉をば見ず、人

の口づからいひ伝へたるまゝなるか。このあやま

りにならひて、後人この歌は、もとよりの雪の上

に、いやましにふりつゝ、おもしろきこゝろ也と

いへり。富士のねに雪ふる時は、天雲とぢて遠近

見ゆる事なし。よし晴天にふるとも、田児の浦よ

り見ゆへからず。天をしのげる山を、庭わたりの

けしきもておもひはからば違ふ事おほかるべし。

その赤人は東に下る時、ふと見つけたるけしき前

にいふが如くなれば、日々につもりそふことなど

いふもかなはぬ也。頼政卿は古意をこのみて、此

意をやしられけん、近江路やまのゝ浜べに駒とめ

てひらの高根の花を見るかなとぞよまれたる。ま

た白たへのふしとつづく例もなし。万葉に、白妙
    シ  ロ  タ ヘ  ノ フヂエノウラ  ア ラ タ  ヘ  ノ  フ ヂ エ
乃藤原、之路多倍能藤江浦、阿良多倍能布知延な
       フヂヌノ          カウム
どつゞけしは、藤布の意にて、白布の言を冠ら
     カナ
しめたり。仮字も藤はふちの濁、富士はふしの濁

なれは、必白たへのふじとはつゞけざること也。

況富士は雪きえぬ山なれば、白きものぞとて、意

をとりこして、白妙のふしとつゞけんは、後世の

俗こそすなれ。さて真白にぞといふは、常にまつ

白にといふにて、その見たる時のさま思ひはか

らるゝ也。猶いふべき事多かれどわつらはしさに
            アフサカ ヲ  ウチデゝミレ
もらしつ、万葉 巻三 に相坂乎、打出而見
バ   アフ ミ ノ ミ   シラ ユ フ ハナニ   ナミタチワタル
者、淡海之海、白木綿花爾、波立渡。

※頭1 此時代の事万葉別記にくはし。

※頭2 万葉を古歌とのみ思ひ止て学ぶ人なし。皇

朝の古学は万葉をしらではかなはぬ也。万葉にて古へ

の人の情と古言をしる時、おのづから上つ代の事を明

らむる也。さて転々たる後世の事も是をしる人こそし

れ、委しく万葉考にいへるを見よ。

※頭3 此礒は山陰にてふしは見えず。その山陰を

行はつれは見ゆる故に、打出てみればといえへり。

※頭4 今よまん歌はいでゝとよむをよしと思はゞ

さても有べし。古歌を訓にはさのみはあらず。後世の

歌に便せんとて古歌を誣るはひがごと也。

 


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