源氏五十四帖 あふひ 浮世絵コレクション
しきすぢには思ひきこえ給へど、まだあらはれては
御息所廿九源氏廿一
わざともてなしきこえ給はず。女もにげなき御とし
のほどをはづかしうおぼして、心とけ給はぬけしきな
れば、それにつゝみたるさまにもてなして、ゐんにもきこし
めしいれ、世中の人もしらぬなくなりにたるを、ふかう
しもあらぬ御心のほどを、いみじうおぼしなげき
けり。かゝることをきゝ給にも、あさがほのひめ
ぎみは、いかで人ににじとふかうおほせば、はかなき
さまなりし御かへりなどもおさ/\なし。さりとて
人にくゝ、はしたなくはもてなし給はぬ御けしき
葵上心
を、君もなをことなりとおぼしわたる。大とのにはかく
のみさだめなき御心を、こゝろづきなしとおぼせど、
あまりつゝまぬ御気色のいふかひなければにやあ
葵上◯◯◯ん也
らん、ふかうしもゑんじきこえ給はず。心ぐるしきさ
まの御心ちになやみ給て、物こゝろぼそげにおほい
たり。めづらしうあはれと思ひきこえ給て、うれしき物
からたれも/\ゆゝしうおぼして、さま/“\の御つゝしみ
せさせたてまつり給。かやうなるほどはいとゞ御心
のいとまなくて、おぼしをこたるとはなけれど、と
だえおほかるべし。そのころさいゐんもおりゐ給て、き
悪后ノ腹也 朱雀院
さいばらの女三の宮ゐ給ぬ。みかどきさきいとことに
思ひきこえ給へる宮なれば、すぢことになり給ふ
を、いとくるしうおぼしたれど、ことみやたちのさる
べきおはせず、ぎしきなどつねのかんわざなれど、
いかめしうのゝしる。まつりのほど、かぎりある、おほや
けごとにそふことおほく、見所゛こよなし。人がらとみ
えたり。ごけいの日、かんだちめなど、かづさだまり
て、つかうまつり給わざなれど、おぼえことに、かたち
あるかきりしたがさねのいろ、うへのはかまのもん、むま
くら迄、みなとゝのへたり。とりわきたるせんじに
て、大将の君もつかうまつり給。かねてより物見ぐる
ま心づかひしけり。一でうのおほち所なく、むくつけ
きまでさはぎたり。所/\の御さじき、心々゛にしつ
しき筋には思ひ聞こえ給へど、まだ表れては、わざともてなし聞こえ給は
ず。女も、似げなき御年の程を恥づかしうおぼして、心解け給はぬ気色な
れば、それにつつみたる樣にもてなして、院にも聞こし召し入れ、世の中
の人も知らぬなくなりにたるを、深うしもあらぬ御心の程を、いみじうお
ぼし歎きけり。
かかることを聞き給ふにも、朝顔の姫君は、いかで人に似じと、深うおぼ
せば、儚き樣なりし御返りなどもおさおさなし。さりとて、人憎く、はし
たなくはもてなし給はぬ御気色を、君も、なをことなりとおぼし渡る。
大殿には、かくのみ定めなき御心を、心付き無しとおぼせど、余りつつま
ぬ御気色の、言ふ甲斐無ければにやあらん、深うしも怨(ゑん)じ聞こえ
給はず。心苦しき樣の御心地に悩み給ひて、物心細げにおぼいたり。珍し
う哀れと思ひ聞こえ給ひて、嬉しき物から、誰もだれも由々しうおぼして、
樣々の御謹みさせ奉り給ふ。かやうなる程は、いとど御心の暇なくて、お
ぼし怠るとはなけれど、途絶え多かるべし。
その頃、斎院も下りゐ給て、后腹の女三の宮、ゐ給ぬ。帝、后、いと殊に
思ひ聞こえ給へる宮なれば、筋ことになり給ふを、いと苦しうおぼしたれ
ど、異宮達のさるべきおはせず、儀式など常の神事(かんわざ)なれど、
いかめしう罵る。祭の程、かぎりある、公事に沿ふ事多く、見所こよなし。
人柄と見えたり。御禊の日、上達部など、数定まりて、仕うまつり給ふわ
ざなれど、覚えことに、容貌(かたち)ある限り、下襲の色、表(うへ)
の袴の文、馬鞍まで、皆調へたり。取り分きたる宣旨にて、大将の君も仕
うまつり給ふ。かねてより物見車、心使ひしけり。一条の大路、所無く、
むくつけきまで騒ぎたり。所々の御桟敷、心々にし尽