きたしらかは 北白川
北白川 の里人は 石工を業 として 常に山に入て 石を切出し 燈籠手水鉢 其外さま/"\の ものを作りて商也。 物理編に土精を 石とす。石は気 の 核なり人の 筋絡より 牙を 生ずる ごとく なり とぞ。
北白川は銀閣寺の北なり。里の名にして川は民家の中を西へ流る 是なん名所三白川の其一なり。 後拾 東路の人にとはゞやしら河の関にもかくや花は匂ふと 民部卿長家 詞花 白川の春の梢を見渡せば松こそ花の絶間なりけれ 俊頼 新後撰 秋の夜の月も猶こそ澄まされ世々にかはらぬ白川の水 此里は洛より近江の志賀坂本への往還なり。志賀の山越といふ素性法師 が君が代までの名こそありけりとつらねし白川の瀧は道の傍にありて 日陰を晒し川の半に橋ありてはじめは右手に見し流もいつとなく 弓手になりて谷の水音浙瀝として深山かくれの花を見岩ばしる流 清くすみて皎潔たる月の影鬧しく橋のほとりに牛石といふあり 形は牛の臥たるに似たり。是よりひがしに山中の里あり。比叡の無動 寺へは此村はづれの細道より北に入る。右のかたの一家には川水を筧 にとりて水車めぐる。
志賀の山越にて石井のもとにてものいひける人の別けるをりによめる 古今 むすぶての雫ににごる山の井のありても人に別ぬるかな 貫之 志賀の山越にて 同 山河に風のかけたるしがらみは流もあへぬ紅葉なりけり 春道列樹 山中峠は白川の里より一里半東にして山城近江の境也。むかし長良の 山桜と詠しは此峯つゞき也。三井寺の入相の鐘はしがのうら風に誘れ 琵琶湖の風景一眼の中に盡て地勢穆々として心を奪はるゝに似たり。干菜山光福寺は百万遍の北にあり。豊臣秀吉公に干菜を多く献し より此號を賜る。(俗に干菜寺 又六斎念佛の本寺たるの旨免許ある。例年 といふなり) 六月廿五日近郷より集りて六斎念佛を執行しける也。瓜生山將軍地藏は白川の北にあり。原はひがしの嶺にあり。寳暦十二年 此地に遷す本尊は石佛の地藏長二尺の像也。(此地は永禄年中城郭に して足利将軍義輝公 細川晴元将軍山に籠城のよし長亭記に 見えたり。其頃は此尊像も城中に安置せし也)
※君が代までの名こそありけれ古今集哀傷歌 さきのおほきおほいまうちきみを白河のあたりにおくりける夜よめる
ちの涙おちてぞたぎつ白河は君が世までの名にこそ有りけれ
北白河天神宮
乘願院
白河
大山祇神社
白河
清沢口石切場
山中山井
瓜生山元勝軍地蔵石室