瑞竜山太平興國南樺禅寺は東三條の北にあり。舊亀山法皇の皇居なりしを 開山大明國師に腸て五山之上の號を蒙る。當山の記に曰 太上皇亀山 院弘安年中に此地に離宮をいとなみ給ふ。正應のはじめ宮中にあや しき事おこりて嬪妃大になやみあへり。陰陽頭にこれをト巫しむるに故 最勝光院僧正道智むかし此地に棲。世に駒の僧正と称す。其霊のこりて 當山を秘惜して障碍をなすといへり。故に顕密の諸師咒術巫祝に及ぶ まで百計手を拱く。同四年東福の釋普門(當寺の開山なり。無閑 和尚といふ。諡大明国師)勅命を請て 二十の禅侶を率て宮中に安居し只何となく衲子をとりて坐禅しけるに 物怪跡を匿し上下安寝す。上皇叡感のあまり普門を礼して伽梨鉢多 をうけ給ふ。また宮をあらためて寺となし(上皇は上の宮に安居し給ひ下 の宮を寺となし給ふ。今の竜渕 室是なり。上壇の鳴瀧の画は古法眼 元信也。水呑の虎は探幽にして世に名高し)遂に命あつて佛殿を創建し給ふ。本尊は 釋迦佛の坐像脇士は文珠普賢なり。又金剛力士の二體を安置す。 (此力士の霊像は回禄のとき 飛いでゝ石上にありしとなり)南の壇上には 亀山太上皇の神牌を崇奉る。
傍には達磨百丈臨濟の像を安置す。(仏殿に曇華堂 といふ堅額あり)山門は五鳳楼と 號して寛永年中藤堂髙虎の再建なり。(薩摩杦を多く 用ひて是を造る)唐木の 白檀二株山門の内にあり。石の大燈籠一基山門の外にあり。高弐丈余。 石は白川の産にして希代の大燈籠なり。蓋石の寳形に二ツ引龍の紋あり。 又地輪の上に文字あり。(南禅寺山門石灯龍寛永五年九月十五日 佐久間大膳亮平勝之寄進之。為現當悉地成満也)綾戸明神は 拳龍池の乾にあり。是當山の鎮守なり。(むかし行宮の通衡に綾戸小路といふあり。 是に住せる帝の牛飼の舎人死して霊 あり。土人これを祭て小祠を建る。應永年中に 伯英俊和尚大祠を造りて山門の境致となせしとぞ)南禅院には亀山法皇の宸影を 安置す。金地院には御宮ありて白砂に鳳凰竹を植る。楼門左右には随身の 像を置。當院の開祖は大業和尚五山僧禄司の號を蒙る。駒が瀧は東の峯 獨秀峯にあり。大僧正道智常に此瀑布を愛す。滅後に霊をまつりて 當寺の護法神とし社を瀧の側に建てこれを神仙佳境といふ。(道管は 光明峯 寺入道摂政道家卿の息なり。三井の長吏 禅林寺にして又狛の僧正ともいふ )藏春峡壑雷橋といふは瀧の邊にあり。 羊角嶺は天授院の東の峰をいふなり。
実際の人出は以下の通り。人のいない写真を撮るのに、苦労した。