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詩歌と気象生物 5 旱の時は ヒドリはヒデリ

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(ウェップリブログ 2007年12月12月21日、22日) 

5 旱の時は ヒドリはヒデリ 

〔11.3〕
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニ
モ マケヌ
  丈夫ナカラダヲ
       モチ
慾ハナク
決シテ嗔ラズ
イツモシヅカニワラッテ
         ヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ
    野菜ヲタべ
-------------改頁
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ
      入レズニ
    ヨクミキキシ
        ワカリ
ソシテ
ワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
 小サナ萱ブキノ
    小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモ
    アレバ
行ッテ看病シテ
      ヤリ
-------------改頁
西ニ疲レタ母アレバ
行ッテソノ
  稻ノ束ヲ
     負ヒ
南ニ
 死ニソウナ人
     アレバ
行ッテ
 コワガラナクテモ
   イゝ
    トイヒ
-------------改頁
北ニケンクワヤ
    ソショウガ
       アレバ
ツマラナイカラ
   ヤメロトイヒ
ヒドリノトキハ
   ナミダヲナガシ
サムサノナツハ
  オロオロアルキ
ミンナニ
   デクノボート
       ヨバレ
-------------改頁
ホメラレモセズ
クニモサレズ
  サウイフ
     モノニ
  ワタシハ
    ナリタイ

宮澤賢治の有名な「雨ニモマケズ」です。手帳の画像を見て書いたので少し見にくいかとは思います。

この詩は、昭和6年9月に東京で倒れて帰郷し、再度療養生活に入った11月3日に手帳9ページに書かれたものです。
題は無く、ただ手帳の上に「11.3」と書かれているだけで、便宜的に「雨ニモマケズ」と呼ばれています。

この中で「ヒドリノトキハ」とあり、旱(ひでり)の誤字としたものに、日取りという説が出て来て論争になりました。
今は旱説に落ち着いたそうですが、自分なりに検証したいと思います。

宮澤賢治全集にある詩の用例をみると
「毘沙門天の宝庫」
もしあの雲が旱の時に人の祈りでたちまち崩れ

大正十三年や十四年のはげしい旱魃のまっ最中も
「旱倹」
野を野のかぎり旱割れの白き空穂のなかにして

「みんな食事もすんだらしく」
ひでりや寒さやつぎつぎ襲ふ

「旱害地帯」

「朝」
朝旱割れそめし稲沼に

と沢山あります。

農業の新技術の普及により、農家の幸せを願った賢治ですが、岩手の過酷な天候だけはどうにもならなかったジレンマが表れていると思います。

大正14年~昭和3年当時の岩手県の米の生産高から、気象をみると
※単位は古く、町=0.99174ha=10段、段(反)=9.9174a、石=約150kg
因みにメートル法を採用した1891年の際、120ha=121町と定めたそうです。

     水  稲
      作付面積   生産量    反収
大正14 53,096.8町 1,135,717石 2.139石/段
大正15 52,835.3町  937,422石 1.774石/段
昭和2  53,927.5町 1,048,608石 1.944石/段
昭和3  54,649.0町 1,086,513石 1.988石/段
     陸  稲
      作付面積   生産量   反収
大正14   917.9町   12,057石 1.314石/段
大正15   969.6町   10,050石 1.037石/段
昭和2    976.5町   12,970石 1.328石/段
昭和3  1,005.8町    9,901石 0.934石/段

統計書には生育期の気象の概要が記されており、

大正14年には
蓋シ本年ノ稲作ハ苗代時期ヨリ七月中旬亘リ気温概シテ低ク従テ稲ノ発育概シテ思ハシカラザリシモ、七月下旬ヨリ天候快復シ日照多ク気温亦当高カリシ為生育順調ニ進ミ…

15年には
蓋シ本年ノ稲作ハ播種後六月中旬ニ至ル苗代期ノ気温低カリ為其ノ生育思ハシカラザリシモ移植時期ニ及ンデ気温漸ク昇騰シテ爾来高温旱干打続キ局部的ニハ干害ヲ蒙リタルモノアルモ
そして昭和2年は大冷害、六年には米、生糸価格が暴落し、昭和恐慌と農村社会に大打撃を与えました。

盛岡市の当時の6~8月の気象は
      月平均気温      降水   日照
   日平均 日最高 日最低 量    時間
大正13年
6月 16.6℃ 21.9℃ 11.7℃  59.9mm 185.9時
7月 24.1℃ 29.7℃ 19.0℃  35.6mm 257.6時
8月 24.0℃ 30.3℃ 18.2℃  18.0mm 257.7時
大正14年
6月 18.0℃ 23.6℃ 12.6℃  61.8mm 261.3時
7月 20.3℃ 25.7℃ 15.5℃  87.0mm 210.6時
8月 23.4℃ 27.9℃ 20.2℃ 221.2mm 167.0時
大正15年
6月 16.1℃ 22.1℃ 10.7℃  46.0mm 200.9時
7月 21.2℃ 26.5℃ 16.5℃ 195.4mm 197.8時
8月 21.7℃ 26.3℃ 17.7℃ 322.1mm 170.6時
昭和2年
6月 17.2℃ 23.7℃ 10.8℃  63.2mm 251.7時
7月 22.8℃ 27.2℃ 19.2℃ 227.5mm 143.3時
8月 22.8℃ 27.4℃ 18.8℃ 286.6mm 168.3時
昭和3
6月 16.7℃ 21.7℃ 11.8℃ 118.3mm 184.7時
7月 21.4℃ 26.4℃ 17.1℃ 120.5mm 213.8時
8月 22.6℃ 28.1℃ 18.0℃  8.0mm 225.1時
昭和4
6月 16.7℃ 22.2℃ 11.8℃  75.6mm 160.3時
7月 23.8℃ 29.8℃ 19.1℃  14.3mm 233.8時
8月 23.6℃ 29.9℃ 18.3℃ 111.1mm 235.5時
とあります。

稲の生産にとって、梅雨時期の降雨、7月の気温が重要な要素となります。イモチ病の発生も低温からもたらされます。

又、陸稲(おかぼ)は、干害に弱く、水稲の出来にくい岩手の山間部にとって大打撃を与えるそうで、反収も少なく、生産量も不安定だった事がわかります。

そもそも、この「雨ニモマケズ」は対句が多く使用されております。

雨←→風、東←→西、南←→北等

従って農作物に影響を与える干害←→冷害が対句となるのは自然な事と思います。

旱の次に冷夏が来ているのも、大正13、14、15年の干害、昭和2年の冷害と順番になっているのではと推察できます。

以上の事からやはり旱説が正しいと推察します。


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