平家物語熱田本
(5) 元暦の大地震
元暦の地震は、この地震により年号が改まり、文治地震と呼ばれ、元暦二年(1185年)七月九日午刻発生したものであり、三月に平家が壇ノ浦で滅亡したことで、「平家の怨霊にて、世のうすべきよし申あへり。」(長門本)と平家の怨霊によるものとか、この世の終わりが来たと噂された。
源平盛衰記には、治承三年(1179)七月にも三度将軍塚が鳴動し、一度目は京都市内、二度目は近畿圏内、三度目は全國で聞こえたとのこと。国難に際し将軍塚が鳴動するとしていて、その後地震が起こった。更に十一月七日にも地震があったとしている。
1) 諸本の差違
A 大福光寺本
又、オナシコロカトヨ。ヲヒタゝシクヲホナヰフルコト侍キ。ソノサマ、ヨノツネナラス。山ハクツレテ河ヲウツミ、海ハカタフキテ陸地ヲヒタセリ。土サケテ水ワキイテ、イワヲワレテ、谷ニマロヒイル。ナキサコク船ハ波ニタゝヨヒ、道ユク馬ハアシノタチトヲマトワス。ミヤコノホトリニハ、在々所々、堂舎塔廟、ヒトツトシテマタカラス。或ハクツレ、或ハタフレヌ。チリハヒタチノホリテ、サカリナル煙ノ如シ。地ノウコキ、家ノヤフルゝヲトイカツチニコトナラス。家ノ内ニヲレハ、忽ニヒシケナントス。ハシリイツレハ、地ワレサク。ハネナケレハ、ソラヲモトフヘカラス。龍ナラハヤ雲ニモノラム。ヲソレノナカニヲソルヘカリケルハ、只地震ナリケリトコソ覺エ侍シカ。
カクヲヒタゝシクフル事ハ、シハシニテヤミニシカトモ、ソノナコリ、シハシハタエス。ヨノツネヲトロクホトノナヰ、二三十度フラヌ日ハナシ。十日、廿日スキニシカハ、ヤウ/\マトヲニナリテ、或ハ四五度、二三度、若ハ一日マセ、二三日ニ一度ナト、ヲホカタ、ソノナコリ三月ハカリヤ侍リケム。
四大種ノナカニ、水火風ハツネニ害ヲナセト、大地ニイタリテハ、コトナル変ヲナサス。昔、斉衡ノコロトカ、ヲホナヰフリテ、東大寺ノ佛ノミクシヲチナト、イミシキ事トモハヘリケレト、ナヲ、コノタヒニハシカストソ。スナハチハ、人ミナアチキナキ事ヲノヘテ、イサゝカ心ノニコリモウスラクトミエシカト、月日カサナリ、年ヘニシノチハ、事ハニカケテイヒイツル人タニナシ。
B 方丈記流布本
また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。
その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。
かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ。おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。
C 高野本
第十二 だいぢしん
同七月九日の午刻ばかりに、大地おびたたしくうごいて良久し。赤県のうち、白河のほとり、六勝寺皆やぶれくづる。九重の塔もうへ六重ふりおとす。得長寿院も三十三間の御堂を十七間までふりたうす。皇居をはじめて、人々の家々、すべてざいざいしょの神社仏閣、あやしの民屋、さながらやぶれくづる。くづるゝ音はいかづちのごとく、あがるちりは、煙のごとし。天暗うして、日の光も見えず。老少ともに魂を消し、てうしゆうことごとく心を尽す。又遠國近國もかくのごとし。だいちさけて水わき出で、ばんじやくわれて谷へまろぶ。山くづれれて河をうづみ、海たゞよひて浜をひたす。汀こぐ船はなみにゆられ、くがゆく駒は足のたてどを失へり。こうずいみなぎり来らば、をかにのぼツても、などかたすからざらむ。みやうくわもえきたらば、河をへだてても、しばしもさんぬべし。たゞかなしかりけるはだいぢしんなり。鳥にあらざれば、空もかけりがたく、りょうにあらざれば、雲にも又のぼりがたし。白河六波羅京中うちうづまれて、しぬるものの、いくらという数を知らず。
しだいしゆのなかに、すいくわふうは常に害をなせども、だいぢにをいてはことなる変をなさず。こはいかにしつることぞやとて、じやうげやりどしやうじをたて、天のなり、地のうごくたびごとには、唯今ぞ死ぬるとて、聲/\に念仏申。おめきさけぶ事おびたゝし。…略…
昔、文徳天皇の御宇、齊衡三年三月八日の大地震には、東大寺の佛の御ぐしをふりおとしたりけるとや。
ニ 城方本
巻第十二 大地震の沙汰
げんりやく二ねん七ぐわつ九かのひのうまのこくばかりに、だいちおびただしううごきて、ややひさししらかはのうちせきけんのほとり九ぢうのたふよりはじめて、だうしやぶつかくじんをくおほくあるひはやぶれくづれ、あるひはたふれかたぶいて、またきは一うもなかりたまふ。三十三げんのとくちやうじゆゐんをも、十七けんまでふりたふす。あがるほこりは、けぶりにおなじ。てんくらうしてひのひかりもみえず。らうせうたましひをうしなひて、うじうきもをまどはす。みやこのうちはまをすにおよばず、きんごくゑんごくもみなかくのごとし。だいちさけてはみづをいだし、うみかたぶきてはまをひたす。やまくづれては、たにをうづみ、いはほくづれてかはをうづむ。なぎさこぐふねは、なみにただよひ、くがをゆくひづめはあしのたてどをまどはす。とりにあらざれば、てんをもかけりがたし。りうにあらざらば、くもへもまたいりがたし。こうずゐみなぎり、いじこばたかきをかにあがりても、しばしはさりぬべし。みやうくわもえきたらば、かはをへだてても、などかたすからざるべき。ただせんかたなきは、だいぢしんなり。またなにものかまをしだしたりけむ。おんやうのかみ、あべのやすちかいそぎだいりにはせさんじて、そうもんしけるは、ゆふさりのゐねのこく、あすのみうまのこくには、だいちかならずうちかへすべし。なんどそうもんすときこえしかば、そのときにいたつて、いへのなりしとみかうしのゆるぎは、たたくをみてはおとなしきもののを、めきければをさなきものどももおなじうつれてぞむせ。びけるさるほどにしゆじやうはおふねにめしていけのみぎはにうかばせおはします。…略…むかしもんとくてんわうのぎようさいかう三ねん三ぐわつ三かのだいぢしんにはとうだいじのみほとけのみぐしおちさせたまひけむなり。
ホ 百二十句本
第百十三句 大地震
同じく七月九日の…略…在々所々、皇居民屋、全きは一宇もなし。あがる塵は煙のごとし。崩るる音は鳴神のごとし。天くらうして日の光も見えざりけり。老少ともに魂を消し、鳥獣ことごとく心をまよはす。遠国も近国も又かくのごとし。山崩れて河を埋み、海傾いて浜をひたす。沖漕ぐ船は波にただよひ、陸行く駒は足の立てどころをまよはす。大地裂けて水湧き出で、岩割れて谷へころぶ。洪水みなぎり来たれば、岡に登りてもなどか助かるべき。猛火燃え来れば、川をへだてても支へがたし。鳥にあらざれば空をもかけりがたく、龍にあらざれば雲にも入りがたし。ただ悲しかりけるは大地震なり。
四大種のなかに、水火風はつねに害をなせども、大地は異なる変をなさざるに。…略…
文徳天皇の御時、斉衡三年三月十三日の大地震は、東大寺の大仏の御頭落ちたりけるとぞ承る。
ヘ 元和九年本
同じく七月九日の午の刻ばかり、大地おびたたしう動いてややひさし。怖ろしなんどもおろかなり。赤県のうち、白河のほとり、六勝寺九重の塔をはじめて、あるいは倒れ、あるいは破れ崩る。くづるるおとは、いかづちのごとく、あがるちりはけぶりのごとし。…略…やまくづれてかはをうづみ、うみただよひてはまをひたす。渚こぐ舟はなみにゆられ、くがゆくこまはあしのたてどをうしなへり。大地さけてみづわきいで、ばんじやくわれてたにへまろぶ。こうずゐみなぎりきたらば、をかにのぼつてもなどかたすからざらん。みやうくわもえきたらば、かわをへだてても、しばしはさんぬべし。とりにあらざれば、そらをもかけりがたく、りうにあらざれば、くもにもまたのぼりがたし。ただかなしかりしは大地震なり。…略…
むかしもんどくてんわうのぎよう、さいかうさんねんさんぐわつやうかの大地震には、とうだいじのほとけのみぐしをゆりおとしたりけるとかや。
ト 嵯峨系本
巻第十二 二 大地震
同じき七月九日の午の刻ばかりに大地夥しう動いてやや久し。赤県の内白河の辺六勝寺皆破れ崩る九重塔も上六重を揺り落す。得長寿院の三十三間の御堂を十七間まで揺り倒す。皇居を始めて在々所々の神社仏閣賤しの民屋さながら破れ崩る。崩るる音は雷の如く、上がる塵は煙に同じ。天暗うして日の光も見えず老少共に魂を消し朝衆悉く心を尽す。また遠国近国もかくの如し。山崩れて河を埋み海漂ひて浜を浸す `渚漕ぐ舟は波に揺られ、陸行く駒は脚の立所を失へり。大地裂けて水湧き出で、磐石破れて谷へ転ぶ。洪水漲り来たらば岡に登つてもなどか助からざらん。猛火燃え来たらば川を隔てても暫しは避けぬべし。鳥にあらざれば空をも翔り難く、龍にあらざれば雲にもまた上り難し。ただ悲かりけるは大地震なり。白河京中六波羅にうち埋まるる者幾らといふ数を知らず。
四大種の中に水火風は常に害を為せども大地に於いては異なる変を為さず。…略…
昔文徳天皇齊衡三年三月八日の大地震には東大寺の仏の御頭を揺り落したりけるとかや。
チ 中院本
リ 源平盛衰記
留巻 第十一
将軍塚鳴動事
七月七日申刻に、…略…。同日の戌刻に、たつみの方より地震して、乾を指てふり持行。是も始には事なのめ也けるが、次第につよく振ければ、山傾て谷を埋、岸くづれては水をたゝへ、堂塔坊舎も顛倒し、築地たて板も破れ落て、山野の獣上下の男女、皆大地を打返さんずるにやと心うし。
裳巻 第四十五
内大臣京上被斬附重衡向南都被切並大地震事
同七月九日午刻大地震なり。…略…
同十四日に弥益々々震けり。堂舎の崩るゝ音雷の鳴が如し。塵灰の揚る事は煙を立たるに似たり。天闇光失、地裂山崩れければ、老少男女肝を消し、禽獣鳥類度を迷す。こは如何に成ぬる世中ぞやとて喚叫、被圧殺者もあり、被打損人も多し。近國も遠國も如此なりければ、山崩て河を埋、海傾浸浜、石巌破谷にころび、樹木倒て道を塞げり。洪水漲来ば岡に登ても助り、猛火燃近付ば河を阻ても生なん、只悲かりけるは大地震也。鳥にあらざれば空をも不翔、竜にあらざれば雲にも難入、心憂しとぞ叫ける。主上鳳輦に召て、…略…
文徳天皇斉衡三年三月、朱雀院天慶元年四月に、大地震ありと注せり。…略…。
ヌ 延慶本
十二(第六末)
一 だいぢしんおびたたしきこと
一 ぶんぢぐわんねんしちぐわつに…略…なるこゑはいかづちのごとし、あがるちりはけぶりにおなじ。…略…やまくづれてかはをうづみ、うみただよひていそをひたす。こうずいみなぎりきたらば、をかにのぼりてもたすかりなん。みやうくわもえちかづかば、かはをへだててもさりぬべし。ただかなしかりけるはだいぢしんなりけり。とりにあらざればそらをもかけらず、りようにあらざれば、くもにもいらず。こころうしともおろかなり。しゆしやうは、…略…。
もんどくてんわうのぎよう、さいかうさんねんさんぐわつ、さきのしゆしやくのゐんのおんとき、てんぎやうぐわんねんしぐわつにかかるぢしんありけり。
ル 長門本
巻第十九
七月九日の戌の時に、…略…。崩るる声は雷のごとく、上る塵はけぶりのごとく、…略…山は崩れて河を埋み、海かたぶきて浜をひたし、巌われて谷にころび入り、洪水漲り来れば、をかにあがりてもなどか助からざるべき。猛火燃え来らば、河を隔てても暫くありぬべし。ただ悲しかりけるは大地震なり。鳥にあらざればそらをも翔りがたし、龍にあらざれば雲にも入がたし。心憂しともなのめならず。主上は…略…
昔文徳天皇の御宇、斎衡三年、朱雀院の御時、天慶元年四月に、かかる大地震有けりと記せり。
ヲ 熱田本
巻第十三
ハジメテ皇居ヲ人々家々都而在々所々神社佛閣早ノ民屋、皆悉破崩ル々ル音ハ如ク雷ノ。上カル塵ハ如シ煙ノ。天闇ク不見日ノ光。…略…
大地割ケテ水涌出デ、盤石破レテ谷ヘ轉ブ。山崩テ塞ツミ河ヲ、海漂ヒテ浸濱。汀漕グ舩破レテユラレ波。陸行駒ハ失足立跡シ。洪水張来ノボルモ岳何トカ不シ助カラ。猛火燒來ラバ間モ川ヲ隔シモ可シ去ンヌ。只悲リケルハ大地震也。非サレバ鳥空ヲモ難ク翔リ、非龍雲ニモ亦難シ昇。白河六波羅京中ニ被打塞死ヌル者莫太不知數ヲ。
四大衆ノ中ニ水火風ハ常ニ成セドモ害ヲ於イテハ大地ニ異ナル不成變。…略…
文徳天皇御宇斉衡三年三月八日ノ大地震ニハ振零シリムル東大寺ノ佛ノ御頭シ耶(カヤ)
ワ 四部合戦状本
同九日午剋、大地震動シ、良久湩レリ。怖ケレ申スモ愚。赤カ嵴中自白河法勝寺塔始或倒破レ崩レ在〃所〃不殘神社仏閣皇居人家一宇モ響聲ヘ如シ雷。揚クル塵以煙日光モ不見ヘ。老少共消シ魂、鳥獣モ悉迷スト心ヲ見ヘ呼爲シ何事ゾ喚叫フ有被打殺之者モ多被ケル打損ス之人モ近國遠國如シ。是山峰崩レ埋メ谷河、海傾涅ヒヌ陸。巌砕ケ入谷モ洪水漲リ來テ上リテモ岡ヘ何可キ不助ケ。猛火燃ヘ來テ隔テモ河暫クハ可去リヌ。只悲シカリ大地震動。非シ鳥空モ難シ翔、非竜雲難シ入。…略…只今死ヌ高念佛申ケレ所〃聲〃震シ七八十、八九十者モ斯ル事未聞カ申世亡ビナンハ云事、今日明日不思モ寄云老叫ブ事震シ。文德天王御宇、斉衡元年三月、前朱雀院御時、天慶元年四月、有斯ル大地震承天慶去御殿常寧イ殿前立五丈楃主上渡ラセ玉、從四月十五日于至八月打連キ湩ケレ上下家不ゾ安堵承ル其レ不ズ見事ナレ有ケ何不知今度事自今以後可有類ヒ不リキ覺ヘ平家怨霊世可キ失之由申合奉逼落シ十善帝王御身沈ヅメ海底御在大臣公卿渡シテ大路其首懸獄門木異國有ケ其例モヤ本朝未ザル聞事無キ是程事ダモ自昔于今死霊怖シキ事ナレ世不鎮ナラ有ズトソ
カ 屋代本
2) 元暦の大地震のまとめ
元暦の大地震の方丈記と平家物語異本の差違を表5に示す。
ここもまさに随所に方丈記が使われている。具体的な単語は異なるものの、意味の類似性まで求めたら、「土」→「大地」、「羽」→「鳥」など更に多くの点で見つかる。
「ばんじゃく」と「いはを」、「ころび」と「まろび」、「いかづち」と「なるかみ」、となど、訓読みにすれば同じ。つまり琵琶法師の師匠からの歌の音で伝わった訳ではなく、文字として伝播して誤読が生じた結果であろう。
大福光寺本の「山は崩れて」と流布本の「山崩れて」は、長門本のみ「山は崩れて」とあり、他は全て「山崩れて」となっている。また、「川を埋み」は、城方本は、「谷を埋み」、中院本は、「川をふさぎ」、四部合戦状本は、「谷河を埋め」となっているが、他はすべて方丈記と同じである。
方丈記の「海かたぶきて陸をひたせり」は、高野本、元和九年本、嵯峨系本、盛衰記、熱田本、が「海たゞよひて浜をひたす」、城方本、百二十句本、長門本は「海傾きて浜をひたす」、延慶本は「海漂ひて磯を浸す」、中院本は、海傾きて峰を浸し」であり、四部合戦状本のみ方丈記と同じである。
大福光寺本の「水湧き出で」は、高野本、九年本、百二十句本、嵯峨系本で、城方本、中院本は、「水を出だし」と大福光寺本に近いが、流布本の「水沸き上がり」 は無い。
「巌割れて、谷にまろび」は、屋代本、「ころび」であるが百二十句本、長門本が同じく、高野本、九年本は、「ばんじゃく」ではあるが同じ。「磐石破れて谷へ転ぶ」は嵯峨系本、盛衰記、熱田本、「巌崩れて川を埋む」は城方本で「岩砕けて谷を埋む」は中院本と「山崩れて」の埋むが交差している。、「巌砕ケ入谷モ」は四部合戦状本となっている。
「渚漕ぐ舟は波に漂い」は、城方本、屋代本が一致、「沖」が百二十句本、「浦」が中院本、「波に揺られ」が高野本、九年本、嵯峨系本、「破れて波に揺られ」は熱田本となっている。
「道行く」は、全て「陸(くが)」となっている。「渚」「浦」「沖」の対句であれば「陸」となるのであろう。
大福光寺本の「うま」を利用した本は無く、流布本の「こま」を利用したのが高野本、百二十句本、元和九年本、嵯峨系本、熱田本、屋代本。「ひづめ」は城方本、中院本、「無し」が盛衰記、延慶本、長門本、四部合戦状本となっている。
方丈記の「塵灰」は、盛衰記のみ利用され、高野本、百二十句本、延慶本、長門本、元和九年本、嵯峨系本、熱田本、屋代本とほとんどは「塵」、城方本のみ「埃」となっている。
斉衡の大地震は、全てが取り上げているが、東大寺大仏の頭落下に関しては、盛衰記、延慶本、長門本、四部合戦状本では取り上げていない。
盛衰記では、「将軍塚鳴動の事」でも「山傾て谷を埋、岸くづれては水をたゝへ」と詞は多少違うものの、流用していると考えてよい。
どの平家異本も「鳥にあらざれば」とあり、方丈記の「羽なければ」とはしていない。大福光寺本の「空をも飛ぶべからず」、流布本の「空へも上がるべからず」は、高野本、城方本(天へも)、百二十句本、九年本、嵯峨系本、中院本(天)、長門本、熱田本、四部合戦状本が「翔り難く」、盛衰記、延慶本、屋代本が「翔らず」となり、大福光寺本の「龍ならばや雲にもおらむ」、流布本の「龍ならねば雲にのぼらむこと難し」は、平家物語では「龍にあらざれば」とし、高野本、九年本、嵯峨系本、「雲にも又昇り難し」、城方本、百二十句本、中院本、盛衰記、長門本、四部合戦状本、屋代本は「雲にも入り難し」、延慶本は「雲にも入らず」となっている。
「。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど」は、高野本、百二十句本、嵯峨系本、熱田本、屋代本が取り上げており、「大地に至りては殊なる變をなさず」は、高野本、百二十句本、嵯峨系本、熱田本とも「大地にをいては」、屋代本は「猶大地は異なる変を成す」と微妙に変化している。
余震の状況を伝えた平家物語は無い。
元暦の大地震では、流布本に近いものが多いが、流布本の特徴である武士の子供の圧死した部分は、平家物語ではどこも取り上げていない。悲惨さとともに、涙を誘う部分なので、平家物語の中で語られてもおかしくないと感じる。取り上げていないということは、前田家本などを参照したとも考えられる。
平成26年4月22日全面改訂