夕顔 三番目物 作者不明
源氏物語の夕顔の六条御息所にとり殺されたことをモチーフに、豊後の僧が京の五条のあばらやから聞こえる夕顔の歌を聞き、弔いの為に法華経を読誦すると夕顔の霊が現れ、弔いを願い、回向によって迷いの晴れたことを喜び舞を舞い消えうせる。
女 山の端の、心も知らで行く月は、上の空にて、影や絶えなん。
女 巫山の雲はたちまちに、陽臺の下に消えやすく、湘江の雨はしば/\も、楚畔の竹を染むるとかや。
女 ここは又もとより所も名を得たる、古き軒端の忍ぶ草、忍ぶ方々多き宿を、紫式部が筆の跡に、ただなにがしの院とばかり、書き置きし世は隔たれど、見しも聞しも執心の、色をも香をも捨てざりし。
女 涙の雨は後の世の、障りとなれば今もなを。
女 つれなくも、通ふ心のうき雲を、通ふ心のうき雲を、拂ふ嵐の風のまに、真如の月も晴れよとぞ、むなしき空に仰ぐなる、むなしき空に仰ぐなる。
※むなしき空に
巻第十二 恋歌二 1134 惟明親王
百首歌の中に戀のこころを
逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり
女シテ そもそも光源氏の物語、言葉幽艷を本として、理淺きに似たりといへども、同 心菩提心を勸めて義ことに深し、誰かは假にも語り伝えむ。
女 中にも此夕顏の卷は、殊に勝れてあはれなる、
同 情の道も淺からず、契り給ひし六條の、御息所に通ひ給ふ、よすがに寄りし中宿に、
女 ただ安らひの玉鉾の、
同 便りに立てし御車なり。
同 物のあやめも見ぬあたりの、小家がちなる軒のつまに、咲かかりたる花の名も、えならず見えし夕顏の、折過ごさじとあだ人の、心の色はしら露の、情置きける言の葉の、末をあはれと尋見し、ね屋の、扇の色ことに、たがひに秋の契りとは、なさざりし東雲の、道の迷ひの言の葉も、此世はかくばかり、はかなかりける蜉蝣の、命懸けたる程もなく、秋の日やすく暮果てて、宵の間過る故郷の、松の響も恐ろしく、
女 風に瞬く燈火の、同 消ゆると思ふ心ちして、あたりを見れば烏羽玉の、闇の現の人もなく、いかにせんとか思ひ川、うたかた人は息消て、歸らぬ水の泡とのみ、散果てし夕顏の、花は再び咲かめやと、夢に來りて申とて、ありつる女も、かき消すやうに失にけり、かき消すやうに失にける。
※しら露の、情置きける言の葉の
巻第三 夏歌 275 前太政大臣
夕顏をよめる
白露のなさけ置きけることの葉やほのぼの見えし夕顏の花
ワキ 不思議や扨は宵の間の、山の端出し月影の、ほの見えそめし夕顏の、末葉の露の消えやすき、本の雫の世語を、かけて顯はし給へるか
女 見給へ爰もをのづから、氣疎き秋の野らと成りて
ワキ 池は水草埋れて、古りたる松の陰暗く
女 又鳴騷ぐ嗄聲身に沁み渡る折からを
ワキ さも物凄く思給し
女 心の水は濁江に、引かれてかかる身となれ共。
※末葉の露の消えやすき、本の雫の世語を
巻第八 哀傷歌 757 僧正遍昭
題しらず
末の露もとの雫や世の中のおくれさきだつためしなるらむ