鵺
五番目物 世阿弥
熊野詣の僧が都へ上る時、蘆屋で宿を頼むと断られ、洲崎の御堂ならと教えられ、泊まると光る空舟が現れ、聞くと源三位頼政に射殺された鵺の亡霊と答えた。次の日読経をすると夜に又鵺が現れ、射殺された当時を語る。
ワキ 不思議やな夜も更けがたの浦波に、幽かに浮かび寄るものを、見れば聞きしに變はらずして、舟の形はありながら、ただ埋木のごとくなるに、乗る人影も定かならず、荒不思議の者やな
シテ 不思議の者と承はる、そなたはいかなる人やらん、本より憂き身は埋木の、人知れぬ身と思しめさば、不審はなさせ給ひそとよ
ワキ いや是はただ此里人の、さも不思議なる舟人の、夜々來るといひつるに、見れば少しも違はねば、われも不審を申也
シテ 此里人とは芦の屋の、灘の鹽燒く蜑人の類を何と疑ひ給ふ
ワキ 鹽燒く蜑の類ならば、業をばなさで暇ありげに、夜々來るは不審なり
シテ 實々暇のある事を、疑ひ給ふも謂れあり、古き歌にも蘆の屋の
ワキ 灘の鹽燒暇無み、黄楊の小櫛は挿さず來にけり
シテ われも憂きには暇無みの
ワキ 汐にさされて
シテ 舟人は
同 差さで來にけりうつほ舟、差さで來にけりうつほ舟、現か夢か明てこそ、海松布も刈らぬ蘆の屋に、一夜寝て蜑人の、心の闇を問給へ、有難や旅人は、世を遁れたる御身なり、我は名のみぞ捨小舟、法の力を頼むなり、法の力を頼むなり。
※芦の屋の灘の塩焼暇なみ、黄楊の小櫛は挿さず来にけり
巻第十七 雜歌中 1588 在原業平朝臣
題しらず
葦の屋の灘の鹽やき暇なみ黄楊のをぐしもささず來にけり
伊勢物語 八十七段、古今和歌六帖