かりがね堤ができるまで(古郡氏三代の偉業)
1613 富士川の大水で、加島一帯の田畑が押し流される
1621 重高は岩本山のすそに一番出し、二番出しを作り、川の勢いを弱める。
1627 重正が代官になり新しい田畑を開発する。
1645 800町の新田ができる。
1660 大水で多くの田畑が押し流される。
1663 研究をたくさんして、新しい堤作りを計画する。
1664 重年が代官になり、新しい堤の工事計画をたてる。
1667 工事の許しが出て、工事が始まる。
1674 かりがね堤が完成し、富士川の流れが真っ直ぐに海に流れるようになった。
ふじ 見たい知りたいわたしたちのまち 令和4年度版 (富士市教育委員会より)
富士市史(富士市史編纂委員会 昭和45年) 第二節 富士川扇状地と田子の浦砂丘より