一 段 初冠したばかりの時、春日の姉妹に信夫文字摺の衣を添えて。ませたガキでしたね。
994 第十一 戀歌一 女に遣はしける 在原業平朝臣
春日野の若紫のすりごろもしのぶのみだれかぎり知られず
六 段 女の子を誘拐して鬼に食われたと勘違いして。
851 第八 哀傷歌 題しらず 在原業平朝臣
白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを
八 段 業平が東下りの際、中仙道を通った時、長野の浅間山が噴火しているの見てでも富士山も別名浅間山というし、貞観6年(864年)に噴火しているとのこと。よみ人知らずの歌らしい。
903 第十 羇旅歌 東の方に罷りけるに淺間の嶽に立つ煙の立つを見てよめる 在原業平朝臣
信濃なる淺間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ
九 段 業平が東下りの際、東海道の三河の八橋(8段では、中仙道でしたが・・・)で、「かきつばた」の折り句で即興歌を。知り合いの修験僧にばったり会って、昔の恋人に手紙を託し。駿河では、富士山の雪がまだらに残っているのを。また、武蔵の国で隅田川を渡る時、船頭が、一行がぐずぐずしているので、怒って適当に「都鳥」と答えたばかりに、言問橋や言問通の名のいわれに。カキツバタ(夏花)からユリカモメ(冬鳥)まで、半年もかけて三河から武蔵まで。ずいぶんゆっくりの旅ですね。知人によると今は京都、琵琶湖にもいるとのこと。「都に住まぬ都鳥」も地球温暖化が・・・。
904 第十 羇旅歌 駿河の國宇都の山に逢へる人につけて京にふみ遣はしける 在原業平朝臣
駿河なる宇都の山邊のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
1614 第十七 雜歌中 五月の晦に富士の山の雪白く降れるを見てよみ侍りける 在原業平朝臣
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
十六 段 紀有常を貧乏な貴族として、業平が夜着や寝具などを送ったことに感激して、有常が礼状に添えて。いくら貧乏でも貴族だし・・・
1496 第十六 雜歌上 業平朝臣の装束遣はして侍りけるに 紀有常朝臣
秋や來る露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける
二十一 段 ともによみ人知らずの歌を業平の歌と結びつけて
1361 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
忘るらむとおもふこころの疑にありしよりけにものぞ悲しき
1369 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
中空に立ちゐぬ雲の跡もなく身のはかなくもなりぬべきかな
二十二 段 別れても好きな人から・・・
1362 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつつなほぞ戀しき
二十三 段 「筒井つの」で有名な幼なじみとの恋。金の切れ目で金色夜叉な男。二股をかけて飯を盛ったくらいで。ちなみに1368の歌は万葉集よみ人知らずです。
1368 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
君があたり見つつを居らむ伊駒山雲なかくしそ雨は降るとも
1207 第十三 戀歌三 題しらず よみ人知らず
君來むといひし夜毎に過ぎぬれば頼まぬ物の戀ひつつぞ經る
二十六 段 詞書ほどの長さですが。五条の辺りの袖が湊って何?
1357 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
おもほえず袖に湊の騷ぐかなもろこし舟の寄りしばかりに
二十九 段 詞書ほどの長さですが
105 第二 春下 題しらず 在原業平朝臣
花にあかぬ歎はいつもせしかども今日の今宵に似る時は無し
三十三 段 山口女王が大伴家持に送った万葉集の恋歌を借用して。四五句は「思ふか君が忘れかねつる」
1377 第十五 戀歌三 中納言家持に遣はしける 山口女王
あしべより滿ち來る汐のいやましに思ふか君が忘れかねつる
四十二 段 浮気性の女性を好きになると、他の男が通ったのではと心配してしまうのは男の性?
1408 第十五 戀歌五 題しらず 在原業平朝臣
出でていにし跡だにいまだ變らぬに誰が通路と今はなるらむ
六十五 段 禁断の恋は、お払いしても治らない。ついには身を滅ぼすはめに。
1151 第十三 戀歌三 題しらず 在原業平朝臣
思ふには忍ぶる事ぞまけにける逢ふにしかへばさもあらばあれ
七十 段 六十九段で別れた斎宮に仕える童に、男女の会う機会を問うのはちなみにミルメとは海松布と書いて海草のこと
1080 第十一 戀歌一 題しらず 在原業平朝臣
みるめ刈るかたやいづくぞ棹さしてわれにへよ海人の釣舟
七十二 段 去っていく男への女の恨みは、怖い。ちなみに伊勢の国の女は斎宮?
1432 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる波かな
八十六 段 昔付き合って、別れた人と偶然ばったり、同じ職場となってしまった。男はよりを戻そうと歌を送るが・・。
1365 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
今までに忘れぬ人は世にもあらじおのがさまざま年の經ぬれば
八十七 段 前段は、神戸の布引の滝の歌を兄行平の歌後半は神戸に住んでいた時の歌。
1588 第十七 雑歌中 題しらず 在原業平朝臣
葦の屋の灘の鹽やき暇なみ黄楊のをぐしもささず來にけり
1649 第十七 雑歌中 布引の瀧見にまかりて 中納言行平
わが世をば今日か明日かと待つかひの涙の瀧といづれ高けむ
1589 第十七 雑歌中 題しらず 在原業平朝臣
晴るる夜の星か河邊の螢かもわが住む方に海人のたく火か
百八 段 紀貫之の歌。人の心を恨んで。ただし、岩は磯となっている。
1040 第十一 戀歌一 題しらず 紀貫之
風吹けばとはに波こす磯なれやわがころも手の乾く時なし
百十七 段 平城天皇が住吉に詣でたとき、住吉神が現形して神託した歌。詞書でも「伊勢物語に」とある。
1857 第十九 神祇歌 伊勢物語に住吉に行幸の時おほん神現形し給ひてとしるせり
むつまじと君はしらなみ瑞垣の久しき世より祝ひ初めてき
百二十二 段 昔結婚の約束を破られたのに、再会したので、女に歌をつかわしたものの音沙汰無し・・・。苦い思い出。
1367 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
山城の井手の玉水手に汲みてたのみしかひもなき世なりけり
百三十 段三十一段と同じ歌です。定家本にはありませんが。
1369 第十五 戀歌五 題しらず よみ人知らず
中空に立ちゐぬ雲の跡もなく身のはかなくもなりぬべきかな
八十三 段 業平の歌(古今集)に惟喬親王の返歌が撰歌されましたので。
1718 第十八 雑歌下 世を背きて小野といふ所に住み侍りけるころ業平の朝臣雪のいと高く降り積みたるをかき分けてもうで夾て夢かとぞ思ふ思ひきやとよみ侍りけるに 惟喬親王
夢かとも何かおもはむうき世をば背かざりけむほどぞ悔しき
異本 四 段七十一段 四段に業平、七十一段に万葉集よみ人知らずの歌掲載されている。
1409 第十五 戀歌五 題しらず 在原業平朝臣
梅の花香をのみ袖にとどめ置きてわが思ふ人は音づれもせぬ
911 第十 羇旅歌 題しらず よみ人知らず
神風の伊勢の濱荻をりふせてたび寝やすらむあらき濱邊に