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Channel: 新古今和歌集の部屋
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源氏物語絵 野分 土佐光成画コレクション

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源氏物語 野分

これを御覧じつきて、 里居したまふほど、御遊びなどもあらまほしけれど、八月は 故前坊の御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさるけしきどもを御覧ずるに、野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。

(略) 南の御殿にも、前栽つくろはせ給ひける折にしも、かく吹き出でて、もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる風の景色なり。折れ返り、露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見給ふ。 (略)
御簾の吹き上げらるるを、人びと押へて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひ給へる、いといみじく見ゆ。花どもを心苦しがりて、え見捨てて入り給はず。御前なる人びとも、樣々にものきよげなる姿共は見渡さるれど、目移るべくもあらず。 「大臣のいと気遠くはるかにもてなしたまへるは、かく見る人ただにはえ思ふまじき御有樣を、いたり深き御心にて、もし、かかることもやと思すなりけり」と思ふに、けはひ恐ろしうて、立ち去るにぞ、西の御方より、内の御障子引き開けて渡り給ふ。 「いとうたて、あわたたしき風なめり。御格子下ろしてよ。男共あるらむを、あらはにもこそあれ」と聞こえたまふを、また寄りて見れば、もの聞こえて、大臣もほほ笑みて見たてまつり給ふ。親とも覚えず、若くきよげになまめきて、いみじき御容貌の盛りなり。女もねびととのひ、飽かぬことなき御樣共なるを、身にしむばかり覚ゆれど、この渡殿の格子も吹き放ちて、立てる所のあらはになれば、恐ろしうて立ち退きぬ。今參れるやうにうち聲づくりて、簀子の方に歩み出でたまへれば、 「さればよ。あらはなりつらむ」とて、「かの妻戸の開きたりけるよ」と、今ぞ見咎め給ふ。 「年比かかることのつゆなかりつるを。風こそ、げに巌も吹き上げつべきものなりけれ。さばかりの御心どもを騒がして。めづらしくうれしき目を見つるかな」と覚ゆゆ。


   黒 雲           風              御簾      風                          源氏                 御簾     薄  薄                   紫の上                  女房                           簀の子                         前栽     土佐光成 (正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年)) 江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。 土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。 画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。     27.5cm×44cm   令和5年11月5日 九點零貳伍/肆

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