
源氏物語 野分
これを御覧じつきて、 里居したまふほど、御遊びなどもあらまほしけれど、八月は 故前坊の御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさるけしきどもを御覧ずるに、野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。
(略) 南の御殿にも、前栽つくろはせ給ひける折にしも、かく吹き出でて、もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる風の景色なり。折れ返り、露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見給ふ。 (略)

黒 雲 風 御簾 風 源氏 御簾 薄 薄 紫の上 女房 簀の子 前栽 土佐光成 (正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年)) 江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。 土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。 画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。 27.5cm×44cm 令和5年11月5日 九點零貳伍/肆