治承四年五月
卅日 天晴る。早旦布衣を着して院に參ず。帥參候す。上下奔走周章し、女房悲泣の氣色あり。密かに右馬允盛弘を招き(若州の後見)、子細を問ふ。答へて云ふ、俄に遷都の聞こえあり。両院、主上忽ち臨幸あるべき由、入道殿申さしめ給ふと。前途又安否を知らず。悲泣の外、他事無しと云々。退出して法性寺に歸る。
六月
一日 天晴る。遷都一定の由と云々。傳へ聞く、遷幸必然と。或人云ふ、右中將隆房朝臣一人、褐顕(かちん)文紗の狩袴(かりこ)、市比の脛巾(はがき)を着し、狩胡籙を帶すと云々。自余の事聞かず。
八日 天晴る。今曉、拾遺中御門亜相殿の便に付き、新都に參ぜらると云々。