新古今和歌集巻第十九
神祇
しるらめやけふの子日の姫小松おひん末までさかゆべしとは
この哥は日吉の社司社頭のうしろの山に
こもりて子日して侍りける夜の夢にみえける
となむ
情なくおる人つらしわが宿のあるじ忘ぬ梅のたち枝を
この哥は建久二年の春の比つくしへまかれ
りけるものゝ安楽寺の梅をおりて侍ける夜
の夢に見えけるとなむ
補陀落のみなみの岸に堂たてていまぞ榮えむ北のふぢなみ
この歌は興福寺の南圓堂作り初め侍りける時春日のえのもとの明神よみ給へるとなむ
読み:しるらめやきょうのねのひのひめこまつおいむすえまでさかゆべしとは 隠
意味:汝は知らないだろうが、今日の子の日に引いた姫子松が大きくなって枯れるまで汝の一族は栄えるだろう
読み:なさけなくおるひとつらしわがやどのあるじわすれぬうめのたちえを 隠
意味:無情に梅の枝を折るとは辛いことだ。太宰府の主たる私を忘れないで毎年春になると匂い起こしてくれていた梅の枝なのに。
読み:ふだらくのみなみのきしにどうたてていまぞさかえむきたのふじなみ
意味:観世音菩薩のお住まいになっている山の南にお堂を建てて、今や栄えている藤原北家は。
備考:補陀落 観音菩薩が住む場所 袋草子には「これは南円堂の壇突くの時翁出で着たりて、この壇を突くとてこの歌を誦す。春日明神の変化」
平成27年8月7日 壱