柏 崎
四番目物・狂女物 榎並佐衛門五郎原作 世阿弥改作
越後柏崎から訴訟のために鎌倉に行った夫が病死とこれを悲しんだ我が子花若が出家したとの知らせを家臣小太郎から知らされた妻は、一旦は悲嘆にくれるが、我が子の行末を神仏に祈る。花若は善光寺の僧に養われていたが、柏崎の母が狂女となり善光寺にやって来ると住僧に女人禁制と止められるが、弥陀の誓いを引いて善光寺如来堂の内陣こそ極楽世界と反論し、本尊を礼拝。夫の形見の烏帽子直垂を捧げ、形見を身にまとい弥陀の浄土を賛美し舞う。やがて我が子にも再会する。
前ジテ:柏崎某妻 後ジテ:狂女 ワキ:善光寺住職 ワキヅレ:善光寺住僧
子方:少年僧
同 それ一念稱名の聲の中には、攝取の光明を待ち、聖衆來迎の雲の上には
女 九品蓮臺の花散りて。
地 異香滿ち/\て、人に薫じ、白虹地に滿ちて、連なれり。
女 つら/\世間の幻相を觀ずるに、飛花落葉の風の前には、有爲の轉變を悟り
同 電光石火の影のうちには、生死の去來を見る事、始めて驚くべきにはあらねども、幾夜の夢と纏はりし、假の親子の今をだに、添ひ果てもせぬ道芝の、露の憂き身の置き所
シテ 誰に問はまし旅の道
同 これも憂き世の慣ひかや。
同 悲しみの涙、眼に遮り、思ひの煙胸に滿つ、つら/\是を案づるに、三界に流轉して、猶人間の妄執の、晴れがたき雲の端の、月の御影や明らけき、真如平等の臺に、至らんとだにも歎かずして、煩悩の絆に、結ぼほれぬるぞ悲しき、罪障の山高く、生死の海深し、いかにとしてか此生に、此身を浮かべんと、實歎け共人間の、身三口四意三の、十の道多かりき
女 されば初の御法にも
同 三界一心なり、心外無別法、心佛及衆生と聞く時は、是三無差別、なに疑ひの有べきや、己身の彌陀如来、唯心の浄土なるべくは、尋ぬべからず此寺の、御池の蓮の、得んことなどか知らざらん、唯願はくは影頼む、聲を力の済け舟、黄金の岸に至るべし、抑樂しみを極むなる、へあまたに生れ行、道樣々の品なれや。寶の池の水、功池の濱の眞砂、數々の玉の床、臺も品々の、樂しみを極め量り無き、壽の佛なるべしや、若我成佛、十萬の世界なるべし
女 本願あやまり給はずは
同 今の我等が願はしき、夫の行ゑをしら雲の、たなびく山や西の空の、彼國に迎へつつ、一浄土の縁となし、望みを叶へ給ふべしと、稱名も鐘の音も、曉かけてともし火の、善き光りぞと仰ぐなりや、南無歸命彌陀尊、願ひを叶へ給へや。
たなびく山や西の空
巻第十 羇旅歌 901 大納言旅人
帥の任はてて筑紫より上り侍りけるに
ここにありて筑紫やいづこ白雲の棚びく山の西にあるらし
地 今は何をか包むべき、是こそ御子花若と、言ふにも進む涙かな
女 我子ぞと、聞ばあまりに堪えかぬる、夢かとばかり思子の、いづれぞ扨も不思議やな
地 ともにそれとは思へども、變はる姿は墨染の
女 見しにもあらぬ面忘れ
地 母の姿も現なき
女 狂人といひ
地 衰へといひ、互ひに呆れてありながら、よく/\見れば、園原や、伏屋に生ふる帚木の、ありとは見えて逢はぬとこそ、聞きし物を今ははや、疑ひもなき、その母や子に、逢ふこそ嬉しかりけれ、逢ふこそ嬉かりけれ。
園原や、伏屋に生ふる帚木の、ありとは見えて逢はぬ
巻第十一 戀歌一 997 坂上是則
平定文家歌合に
その原やふせやに生ふる帚木のありとは見えて逢はぬ君かな