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平家物語 祇園精舎3 筆者不明折帖コレクション
平家物語 祇園精舎 事も猛き心も皆とり/"\なりしか どもまぢかくは六波羅の入道前の 太政大臣平の朝臣清盛公とも しゝ人の有様傳え承るこそ心も ことばも及ばれね。 その先祖を尋 ぬれば桓武天皇第五の皇子一品 式部卿葛原の皇子九代落胤 讃岐守正盛が孫刑部卿忠盛 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article平家物語 祇園精舎4 筆者不明折帖コレクション
平家物語 祇園精舎 朝臣の嫡男なり。かの親王の御子高 視の王無官無位にして失せ給ひ ぬ。その御子高望の王の時初めて平 の姓を賜ひて上総の介になり給ひし よりこのかた忽に王氏をいでゝ人 臣に連なる。その子鎮守府の将軍 良望後には国香と改む。国香 より正盛に至るまで六代は諸○ 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article平家物語 殿上の闇討1 筆者不明折帖コレクション
平家物語 殿上闇討 の受領たりしかども殿上の仙 籍をば未だ許されず。 しかるに忠盛朝臣未だ備前守たり し時鳥羽の院の御願得長寿院を 造進して三十三間の御堂を建て 一千一体の御佛をすゑ奉らる。供 養は天承元年三月十三日なり。勧 賞には闕國を賜ふべきよし仰せ 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article平家物語 殿上の闇討2 筆者不明折帖コレクション
平家物語 殿上闇討 下されける。折ふし但馬国のあきたり けるをぞ下されける。上皇なほ御感のあま りに内の昇殿を許されける。忠盛三十 六にて初めて昇殿す。 雲の上人これを嫉み憤り同じき年 の十一月廿三日五節豊明の節会の夜忠 盛を闇討にせんとぞ議せられける。忠盛 このよしを傳へきゝてわが右筆の 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article平家物語 殿上の闇討3 筆者不明折帖コレクション
平家物語 殿上闇討 身にあらず。武勇の家に生れて今不 慮の恥にあはんこと家のため身の ため心うかるべし。詮ずる所身を 全うして君に仕へ奉れといふ本文 ありとてかねて用意をいたす。参 内のはじめより大きなる鞘巻を○ さし束帯の下にしどけなげにさ しならし火のほのくらき方に向ひ 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article平家物語 殿上の闇討4 筆者不明折帖コレクション
平家物語 殿上闇討 てやはらこの刀を抜き出でて鬢に 引き當てられたりけるがよそよりは 氷などのやうにぞ見たりける諸人 目をすましけり。又忠盛の郎黨 とは一門たりし平の木工助貞光が 孫進の三郎太夫家房が子に左兵衛 の尉家貞といふ者あり。薄青の狩 衣の下に萌黄威の腹巻を着柄弦袋 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article平家物語 殿上の闇討5 筆者不明折帖コレクション
平家物語 殿上闇討 つけたる太刀脇はさんで殿上の小庭 に畏つてぞ候ひける。貫首以下あや しみをなして、うつぼより内鈴の綱の 辺に布衣の者の候ふは何者ぞ。 狼藉なり。とう〃〃まかり出でよ。と六 位を以ていはせられたりければ家 貞畏つて申しけるは相傳の主備 前の守殿の今夜闇討にせられ給 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article平家物語 殿上の闇討6 筆者不明折帖コレクション
平家物語 殿上闇討 ふべきよし承つてそのならんやう を見むとてかくて候ふなり。 えこそ出でまじう候へとて畏つて ぞ候ひける。これらを義経なしとや 思はれけん。その夜の闇討なかり けり。 平成29年4月15日 4丁點參壱
View Article明月記 元久詩歌合 五月一日
明月記 元久二年 五月 一日戊午天晴。参上、退下如例。秉燭以後、藤少將被來談。昨日送題之處無返事。俄々之間懈怠之由所謝也。 俄…ハ+ム+心。ソウ。にわか、あわてる。 一日戊午天晴。参上、退下例の如し。秉燭以後、藤少将来たりて談せらるる。昨日、題を送った処、返事無し。俄々の間、懈怠の由謝する所也。
View Article明月記 元久詩歌合 五月三日
明月記 元久二年 五月 三日天晴。詩歌合事達叡聞、可詠試之由有御氣色之由、家長語之。仍内々申此由。家長又有所望之氣。同申了。 略 三日天晴。詩歌合の事叡聞に達し、詠み試むべくの由御気色の有る由、家長これを語る。仍て内々此の由を申す。家長又所望の気有り。同く申し了んぬ。
View Article明月記 元久詩歌合 五月四日
明月記 元久二年 五月 四日天陰雨灑。早旦參上。以殿下御書内々令見家長。御製事也。即持參御所。還出云。若期日延引者、争不詠乎之由、有仰事。即申此由了。又家長事、昨日同御許。即書送題了。又大僧正御歌一首、可書入新古今之由、有仰事。仍入之。出御之■次仰事云。欲合親經、必二番可負。依爲師匠也者。即御向殿了。退下即出京入九條。着狩衣等、參殿。見參移漏入夜退出歸冷泉。 略...
View Article明月記 元久詩歌合 五月十日
明月記 元久二年 五月 十日天晴。家長朝臣來臨。殿下詩歌合、於院御所可被合之處、詩於御所未被講。仍被忌五月、延引了云々。 略 十日天晴。家長朝臣来臨す。殿下の詩歌合、院御所に於いて合はせらるべき処、詩は御所に於いて講せられず。よりて五月を忌まれ延引しおはんぬ云々。 略
View Article哀傷歌 嵐山法輪寺
新古今和歌集巻第七 哀傷歌 母の思ひに侍ける秋法輪寺にこもりて侍けるに 嵐のいたく吹ければ 皇太后宮大夫俊成 うき世には今はあらしの山風にこれや馴れ行くはじめなるらむ 読み:うきよにはいまはあらしのやまかぜにこれやなれゆくはじめなるらむ 嵐山法輪寺
View Article明月記 元久詩歌合 五月十二日
明月記 元久二年 五月 十二日雨降。夕參殿。今日最勝講定云々。詩歌合事、大略被結番。予可爲御結之由雖被仰、長兼先度合家隆、今度不可然之由申云々。僧正御房又可合資實卿之由御望云々。仍家隆可合御作之由申了。有御許。予憖合長兼。今度歌殊不得風情。定見苦歟。入夜退下。 略...
View Article明月記 元久詩歌合 六月十三日
明月記 元久二年 六月 十三日天晴。暑氣難堪、偏如病者。日來蟄居。御神事訖、自殿有召、仍参入。午時許渡御九條殿訖、退下。上皇昨日水無瀬御方違、今日還御云々。詩歌合明後日云々。 十三日天晴。暑気は堪え難く、偏へに病者の如く。日来蟄居す。御神事訖り、殿より召し有り。仍て参入す。午の時許り九條殿に渡御訖り、退下す。上皇昨日水無瀬で御方違えて、今日還御と云々。詩歌合は明後日と云々。 元久詩歌合...
View Article日本書蹟大鑑 第十九巻 目次 蔵書
日本書蹟大鑑 小松茂美著 講談社 拾點伍 第十九 本阿弥光甫 池田光政 山本春正 山崎闇斎 高倉嗣孝 鉄眼道光 大炊御門経孝 花園実満 阿野公業 木庵性瑫 堀田正俊 荒木素白 後西天皇 山鹿素行 西園寺実輔 三沢初子 日野広資 尾形宗兼 勧修寺経広 本阿弥光由 水無瀬氏信 烏丸光雄 寺田無禅 日允 井原西鶴 畠山牛庵 吉川惟足 小堀政尹 松尾芭蕉 尊証法親王
View Article百人一首 高師浜 紀伊
おとにきく 祐子内親王家紀伊 高石濱のあだなみは かけじや袖のぬれも こそすれ 大阪府高石市 高石神社 祐子内親王 家紀伊 かけじ 音に聞く やそでの 高師の浜の 濡れ あだ波は もこそ すれ 京都市 嵐山東公園 金葉集 堀河院御時のけさうぶみあはせによめる 中納言俊忠...
View Article春歌下 春に心を尽くしきぬ 俊成
いくとせの あはれと 春に 思へ 心を みよし野 つくし の花 來ぬ 第二 春歌下 千五百番歌合に春の歌 皇太后宮大夫俊成 いくとせの春に心をつくし来ぬあはれと思へみよし野の花 読み: いくとせのはるにこころをつくしきぬあわれとおもえみよしののはな
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