江戸時代の第一種接近遭遇
ある老人のこんな話がある。 私はこの年になるまで格別の怪異を見たことがありません。ただ一度、不思議な事が御座いました。 早春の六日の夜、ある人の所で謡曲の会が御座いまして、私も行きました。...
View Article翁草 洛陽(天明)大火2
翁草 ○ 洛陽大火の続 所々焼失の時刻有増左記 晦日の暁卯の上刻 団栗の辻子より出火。石垣町川端四条下る二丁目より五条橋通迄五町餘の間焼廣がる。風寅卯の方より吹 同中刻 風辰巳より吹。寺町永養寺へ飛火移る。是洛中へ焼入し始なり。 同下刻 薮の下通を西へ焼。佛光寺へ火移。高辻より四条迄の間焼廣がる。 辰上刻 因幡堂菅大臣社等焼。 同中刻 六角堂及び此辺所々焼廣がる。 同下刻...
View Article翁草 洛陽(天明)大火3
同申上刻 雨振出南風烈敷。所々の火勢益熾なり。本圀寺へ北の方より火移。寺内を南へ焼廣がり、西本願寺の皷樓へ火移り、門焼失。此火風上をさして東南へ焼廣がる。 同中刻 上京新町辺より千本通を限り西陣を北へ焼廣がる。但千本通迄は不出。 同下刻 出水通西の行詰七本松通にて寺四軒焼。北の方紫野今宮御旅まで焼抜る。 同酉上刻 乾の方より大風起り雨頻に降。火勢大に熾、東南吹立。 戌刻...
View Article新古今和歌集(新)抄 中 蔵書
冬賀 新古今和歌集鈔 二 離別 増補新古今和歌集聞書 東野常縁 著 細川幽斎 冬歌~恋歌五 高麗橋西大豆葉町(大坂) : 油屋平右衛門 版 寳永八年[1711年] 早稲田大学図書館蔵 新古今和歌集新抄 澁川氏 所在 在阪 澀川氏 不詳 新古今和歌集聞書(新鈔) 蔵書の二
View Article翁草 洛陽(天明)大火4
南は七條通(但七條迄は不出。七條北側の裏町迄)、北は紫野鞍馬口、西は千本通(但二條より北は千本迄不。千本通の裏町限)、東は賀茂川の東西迄。東西凡二十五町、南北凡四十町餘。神社三十七ヶ所、仏閣二百一院。町数千四百三十町、戸数六萬五千三百四十軒、即死百十四人。 奥に記処 神社四十七ヶ所、寺院三百二十四院。 (朱書) 「又町数千五百町、家数三萬六千八百軒」 (朱書) 「寺院三百三十餘、社四十餘」...
View Article翁草 洛陽(天明)の大火5
右考る所京都町数前巻に記る通元禄年中御改の節千八百餘町なり。其後所々新地出來ぬれば当時凡二千町の内外なるべし。今度焼殘たる四隅を併せなば凡四五百有べし。左あれば今度の焼失千四五百町成べし。朱書に有之三千餘町と云は積(つもり)も無き事なり。又死人の事は人主(ヒトヌシ)不ル知死骸八百餘人。総死人千七百人などゝ云ひ又は萬を以て算へなど取々に風説すれ共是は其数は御改もなき事なれば聢と知れがたかるべし。
View Article曽根好忠 由良の戸
ゆらのとをわたる 舟人かぢをたえゆくへもし らぬ恋のみちかな 曽根好忠 由良の戸の碑 新古今和歌集巻第十一 恋歌一 題知らず 曾禰好忠 由良のとをわたる舟人かぢをたえ行方も知らぬ恋のみちかな ゆらのとをわたるふなびとかぢをたえゆくえもしらぬこいのみちかな
View Article時雨亭方丈記 福原遷都1
かゝる事やある。たゞごとにあらず。さかるべき物のさとし などぞうたがひ侍し。又治承四年みな月の比 俄に宮こうつり侍き。いと思の外なりし事 なり。大方比京のはじめをきけば嵯峨天皇の 御時事さだまりにけるより○○てに数百 歳を経たり。ことなる故なく○やすくあらたまるべくも あらねど是を世の人ややすからず○へあへるさまこと はりにも過たり。されどとかくいふかひなくて御門...
View Article天つ風 雲林院
僧正遍昭 天つ風雲のかよ ひじふきとじよ をとめの姿しば しとゞめむ 雲林院 〒603-8214 京都府京都市北区紫野雲林院町23 雲林院(うんりんいん、うりんいん)は、京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭である。かつて天台宗の大寺院として知られた、平安時代の史跡でもある。なまって「うじい」とも呼ばれた。...
View Article實久卿記 天保十四年三月十五日
實久卿記 天保十四年三月十五日戊馬。午後雨卯初刻參内依番也。此日石清水臨時祭也。申沙汰雑事。辰刻計事具之由奉行愛長朝臣言上。予奏之。今日無出御、被止御禊。庭座以下惣可爲如天保六年度被仰出。予仰奉行(依御風氣也)内大臣以下着殿上。宣命奏聞了。庭座召公卿。次召使以下勤盃。賜挿頭花。次舞御覽了。午終刻使以下參社頭了。予今夜宿仕。今日散状。使實愛朝臣(今日着禁色○舞人陪從等略ス。○實麗卿記略ス。)...
View Article