源氏物語 澪標
源氏物語 澪標 源氏 身を尽くし恋ふる標にここまでも巡り逢ひける縁は深しな かへし 明石上 数ならで難波の事も甲斐無きになど身を尽くし思ひ初めけむ みをつくしこふるしるしにここまてもめくりあひけるえにはふかしな かずならでなにはのこともかひなきになどみをつくしおもひそめけむ 南海住吉大社駅横公園側
View Article石清水八幡宮 御神楽略記
寶永貳年改之 御神樂略記 初卯御神樂之次第 庭燎 作法 阿知女 作法 榊 本方 末方 閑韓神 本方 末方 早韓神 人長之舞 阿知女 作法 薦枕 本方 末方 秘曲 本方 末方 篠波 本方 末方 千歳 本方 末方 早歌 七首本方末方 得錢子 本方 末方 木綿作 本方 末方 朝藏 本方 末方 其駒 人長之舞...
View Article夏夜於鴻臚館餞北客 大江朝綱
本朝文粹 夏夜於鴻臚館餞北客 後江相公(大江朝綱) 延喜八年天下太平海外慕化。 北客算彼星躔朝此日域望扶木而烏集涉滄溟而子來。 我后憐其志褒其勞或降恩或增爵。 於是餞宴之禮已畢俶裝之期忽催。 夫別易會難來遲去速。 李都尉於焉心折宋大夫以之骨驚。 想彼梯山航海凌風穴之煙嵐迥棹揚鞭披龜林之蒙霧依依然莫不感忘遐之誠焉。 若非課詩媒而寬愁緒攜歡伯而緩悲端何以續寸斷之腸休半銷之魂者乎。...
View Article天明の大火
こんな話がある。 1200年の歴史を誇る京都の長い歴史の中で、都を破壊し尽くした大火と言えば、応仁の乱と天明八年一月三十日に発生した別名団栗焼の大火である。 応仁の乱は、あそこで戦が始まればあの神社が焼かれ、こっちの街道を上洛する軍団との陣取りでここの神社が焼かれと10年掛けて焼き付くしたが、天明の大火は僅か1日で京都の大半を焼き付くした。 翁草 洛陽(天明)大火2 翁草 洛陽(天明)大火3...
View Article花山院家 狐の防火
こんな話がある。 江戸時代の京都の大火と言えば、宝永と天明、元治に起こったものが京都三大大火として有名である。 そのうち、宝永と天明の大火は、御所にも延焼し、皇族、公家が鴨川対岸の下鴨神社、上賀茂神社、聖護院などに急遽行幸する事となった。 元治は、長州藩と会津・桑名藩の戦闘が蛤御門で始まったので、禁門の変とも呼ばれるが、御所には戦渦が及ばなかった。...
View Article平安京内裏猟奇殺人事件 宴の松原の鬼
こんな話がある。 昔小松天皇の御代に、武徳殿の松原を若い女が三人で連れ立って内裏の方へ歩いていた。八月十七日の夜の事で、大変月が明るかった。...
View Article明月記 元久二年正月十七日
明月記 元久二年正月 十七日。天晴る。夜雪斑なり。…略 傳へ聞く。吉田社の南に、院の御所を立てらるべし。諸人の領を押し召さると、竜樹御前、光資を以て此の事を歎かる。
View Article明月記 元久元年六月十五日 行遍
明月記 元久元年六月 十五日天晴る。…略…今日祇園に神馬を立てらる。例の如し。まず御幣(仕丁を相具し願文を持つ)、次で神馬十匹(十列なり。御随身之に乗る)、近武以下なり。あかり馬二疋。兼澄の子男兼廉等之に乗る(近春落ちて死す。小屋立なり)。例の出でおはしますの後、宿所(九条)に帰る。小浴し、僵れ臥す。夜に入り熊野の行遍法橋来たりて談る。歌人なり。 行遍法橋 哀傷歌...
View Article布留の滝
古今集 秋歌上 仁和のみかどみこにおはしましける時ふるのたき御覧せむとておはしましけるみちに遍昭がははの家にやどりたまへりける時に庭を秋ののにつくりておほむ物がたりのついでによみてたてまつりける 僧正遍昭 さとはあれて人はふりにしやどなれや庭もまがきも秋ののらなる 離別歌 仁和のみかどみこにおはしましける時にふるのたき御覧しにおはしましてかへりたまひけるによめる...
View Article神祇歌 熊野花盛 白河院
咲きにほふ 花のけしきを 見るからに 神のこゝろぞ そらにしら るゝ 雍仁親王妃勢津子謹書 新古今和歌集 巻第十九神祇歌 熊野へまうで給ひける道に花のさかりなりけるを 御覧じて 白河院御歌 咲きにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空に知らるる 読み: さきにほふはなのけしきをみるからにかみのこころぞそらにしらるる 熊野本宮大社...
View Article時雨亭方丈記 福原遷都2
をらむ。つかさくらゐに思ひをかけ主君のかげを たのむ程の人は一日なりともとくうつろはむとはげ み時をうしなひ世にあまされ○○○なき物は うれへ○○とまりをり。軒をあらそひし人のすまゐ 日をへつゝあれ行。家はこぼたれて淀河にうかび 地はめのまへに畠となる。人の心もあらたまりてたゞ 馬鞍をのみ重○す。牛車を用とする人なし。 西南海の所領を○ひて東北國の庄園を...
View Article羅城門
こんな話がある。 昔、摂津の国辺りより、小金持ちの家に盗みに入ろうと京へ上った男がおった。京に到着したが未だ日が高いため、羅城門の下に立って隠れていたが、朱雀の方には人が沢山往来していたので、人がいなくなるのを待とうと思って門の下で待っていると、山城の方より、大勢の人々がやって来る音がしたので、彼らに見られまいと思って、門の上層にそっとよじ登った所、見ればほのかに火が灯しているのじゃった。...
View Article賀歌 神無月 元輔 色紙コレクション
神無 よろ 月 づ 代 もみぢ かゝ を(も) れ しらぬ 峰の 常磐 しら 木に 雲 新古今和歌集巻第八 賀歌 貞信公家屏風に 清原元輔 神無月もみぢも知らぬ常磐木によろづ代かかれ峰の白雲 かみなづきもみぢもしらぬときはぎによろづよかかれみねのしらくも 平成29年9月17日 壱點陸壱/九枚
View Article和歌所寄人
和歌所 建仁元年七月二十七日 二条殿弘御所(二条高倉殿:二条南、押小路北、高倉西、東洞院東)の 北面 建仁三年二月四日 京極殿(東弘御所)へ移設 寄人 左大臣藤原良経 内大臣源通親 天台座主慈円 釈阿入道 源 通具 ☆ 藤原有家 ☆ 藤原定家 ☆ 藤原家隆 ☆ 藤原雅経 ☆ 源 具親 寂 連 ☆ 開闔 源 家長 寄人追加 藤原隆信 鴨 長明 藤原秀能
View Article明月記 二月二十一日 真名序
明月記 二月 廿一日。天晴る。巳の時総州門前を過ぎ、只今参ずる由を告ぐ。即ち和歌所に参ず。修理大夫、養ひ奉る姫宮参じ給ふ。侍従敦通、御共に在り。俄に神泉に御幸し了りんぬる後、大府卿参ず。宗宗座に在り。四人に沙汰す。晩、家長又杯杓。左大弁、撰集の序を持ちて参ず。今日奏覧し了りんぬ。殿下に覧ずべき由、新宰相之を承り、猶返し給ふ。副へらるる事等ありと云々。…略。
View Article明月記 二月二十五日 慈円御覧
明月記 元久二年二月 廿五日。暁より雨降る。巳の時許りに所へ参ず。彼是語りて云ふ。一昨日の物、即ち御前に取り出す。皆 召し入れられ了んぬ。和歌所に返し給ふと云々。籠居凶服の者、初めての出仕、事に於て恐れを成すの間、此の如き事、聊か以て安堵す。御気色の程を知るか。大僧正参じ給ふ。大府卿と切り継ぎを見る。暮に雑の下を切り継ぎ了んぬ(総州之を見る)。昏黒に退下す。…略。
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