増鏡 第二 新島守 後鳥羽院崩御
この浦に住ませ給ひて十七年ばかりにやありけん。延応元年といふ二月廿二日むそぢにて隠れさせ給ひぬ。 今一度、都へ帰らん御心ざし深かりしかど、ついにむなしくてやみ給ひにし事、いとかたじけなく、あはれになさけなき世も、今さら心うし。近き山に例の作法になしたてまつるも、むげに人ずくなに心細き御有樣、いとあはれになん。...
View Article延徳本 方丈記 行川のながれは
行川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむすんで、ひさしくとゞまることなし。世の中にある人もすみかも、又かくのごとし。...
View Article延徳本 方丈記 若き子を
わかき子をさきだてゝ、袖をしぼる老人もあり。或ははぐゝむ親にをくれて、路頭にさすらふみなし子、或は契を結ぶ夫妻にわかれて、比翼のかたらひ空しくなり、あるは頬をかくる主君をうしなひて、眷顧の思ひたちまち反す。 又、ともにあひむかへる時には、かれをはごくみ養むとて、さま/"\の心をついやし、貧しきものは財あらんことをのぞみ、冨るものは寶のうする事を歎くといへども、心にかなふことなし。...
View Article延徳本 方丈記 つらつらこれらのことを思ふに
つら/\これらの事を思ふに、家あれば、燒失の恐れあり。妻子あれば、はごくまむ思ひあり。眷属あれば、心にしたがはざるうらみあり。寶あれば、盗人の憚あり。田畠あれば、おほやけにつけて、あやぶみあり。 すべて、高き人にはしたがはんことをこばみ、くだれる人をばしがへむとはげむ。をよそ、やすき所なし。いづくにか此の身をやどさむ。 いかにいはんや、只この世ばかりの苦にして、後の世の恐れなくば、さてもありなん。...
View Article新古今和歌集 羈旅歌 江口
天王寺へ詣で侍りけるににわかに雨の降りければ江口に宿を借りけるに貸し侍らざりければよみ侍りける 西行法師 世の中を厭ふまでこそ難からめかりのやどりを惜しむ君かな 返し 遊女妙 世の中を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
View Article延徳本 方丈記 又、かたはらに、琴琵琶をたて置けり
又、かたはらに、琴琵琶をたて置けり。いはゆる折琴つぎ琵琶是なり。 今さらの身に○(は)おは(ふせ)ぬ手すさびながらも、昔わすれぬ名殘に、折ふしはかきなで〃、おもひをやる。子期がごときの知音も物せねど、興あれば、しば/\松のひヾきに●風の樂をたぐへ、岩がねにながるヽ水に流泉の曲をあやどる。藝はこれつたなければ、人の聞をよろこばしめむとにもあらず。獨しらべ、ひとり詠じて、みづから心やしなふ計なり。...
View Article延徳本 方丈記 澤の根芹、峯の木のみ
澤の根芹、峯の木の実み、あるにつけて命をつなぎ、麻の衣、藤のふすま、うるにしたがひて肌をかくす。 あながちにおしき命ならねば、粮のつきなん愁もおもはず。人にまじはる身ならねば、姿をはづる悔もなし。むくふべきちからなければ、人の思ひも願はしからず。名聞をおもはざれば、そしる人もうらめしからず。...
View Article延徳本 方丈記 心ざし道ふかければ
心ざし道ふかければ、つれ/"\たる愁もなし。 谷の清水、峯の木だち、眼をよろこばしむる友なり。風の音、むしの聲、耳にしたがふしるかなり。春は、鶯のこゑを待えては、鸚鵡の囀と聞。松にかヽる藤なみ、紫雲のよそほひにて、なつかし。夏は、郭公をきヽ、かたらふごとに、四手の山路を契る。●は、くまなき月の影に、満月のかほばせをおもひやり、冬のあらしに散りまがふ紅葉をば、常ならぬ世のためしなりと見。...
View Article延徳本 方丈記 もし、かうばしき友
もし、かうばしき友、芝の戸をたヽいて入來れば、往事をかたり、來縁を契る。それ、世間名聞寄合の爲に契らず。只後世菩提の眞の善知識のためにかたらふ。 心に佛を念じ、手に經巻をにぎるに、妨る人もなし。倦よれば、をのづから怠るに、恥べき人もなし。 心いさめば、又はじむ。念佛し、讀經するに、名聞の爲にせざれば、人にかざることなし。檀那をいのらざれば、しるしのなきことをうらみず。...
View Article延徳本 方丈記 方丈のすまゐたのしきこと
方丈のすまゐたのしきこと、かくのごとし。冨る人にむかひていふにあらず。たヾ、身ひとつにとりて、心のひくかたなれば、原憲が百つヾり、顔子が一瓶のあとをおもふばかり也。 是をうたがはしくおもはヾ、魚と水の情を見よ。魚は水にあかず。
View Article延徳本 方丈記 今、方丈の草の庵
今、方丈の草の庵、よくわが心にかなえり。故に、万物をゆたかにして、うれはしき事、さらになし。 一生夢のごとくにうちすぎ、迎の雲を待えて、菩薩聖主に肩をならべ、不退の浄利に詣しつヽ、如来の寳藏をひらひて、功徳の聖財ゆたかにして、世〃生〃の父母師長をたすけ、六道四生の群生をみちびかむ事、いくばくの樂みぞや。
View Article延徳本 方丈記 墨ぞめの衣ににたる
墨ぞめの衣ににたるこヽろかととふひとあらばいかヾこたえむ 門蓮胤誌之 此本奥書 方丈記者是祇翁之所持以長明自筆卷物写之篳 誠筐中之重寳也 延徳二年三月上旬 肖栢判
View Article明月記 建仁二年正月廿五日 式子内親王一周忌
建仁二年正月 廿五日 天陰る。雨降り止む。 午の時許りに束帯して大炊御門の旧院に參ず。今日御正日なり。入道左府経営さると云々。彼の一門の人済々。 予、衆に交はらずして尼に謁す。 大納言殿退出。今日、此の院を出で左女牛の小家に住せられるべし。仍て車を貸す。 即ち九條殿に參ず。女院御佛事、海慧律師導師。夜に入り、事訖る。布施をごりて退出す。
View Article明月記 建仁二年九月廿五日 竜寿御前(定家姉)式子内親王月命日供養
建仁二年九月 廿五日 天晴る。竜御前渡らる。寂光院に実(まめやか)に參ずと云云。 竜寿御前 藤原定家同母姉。式子内親王に仕え先斎院大納言と呼ばれる。建久七年橘兼仲妻妖言事件で式子内親王洛外追放で式子内親王を自宅に引き取る。
View Article玉葉 建久二年四月廿四日 海恵
玉葉 建久二年四月廿四日 御室御弟子、高松院御腹、澄憲令生之子也。雖密事人皆知之 海恵 承安2年(1172年)生、承元元年(1207年)死去と推定。 御室 守覚法親王。久安6年3月4日生、 建仁2年8月26日薨去。真言宗仁和寺第6世門跡。式子内親王同母兄。
View Article源家長日記 式子内親王懐古 軒端の梅
齋院うせさせ給にしまえのとし、百首歌たてまつりしに、 軒端の梅もわれをわするな と侍しにが、大炊殿の梅の、つぎのとしの春、こヽちよげに咲きたりしに、ことしは斗はひとりごたれ侍りし。 ※軒端の梅 ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅よわれを忘るな 後鳥羽院正治二年初度百首 ※ことし斗は 源氏物語 薄雲 二條院の御前の櫻をらんじても、花の宴のをりなど、思し出づ。今年ばかりはとひとりごち給ひて 古今集...
View Article軒端の梅 式子内親王家関係者
皇族 式子内親王 久安5年- 建仁元年1月25日 賀茂斎院 父 後白河法王 大治2年9月11日 - 建久3年3月13日 在位:久寿2年7月24日 - 保元3年8月11日 母 藤原成子 生年不詳 -安元3年3月11日 後白河天皇後宮典侍 高倉三位局。権大納言藤原季成の娘 弟 守覚法親王 久安6年 - 建仁2年8月26日 仁和寺第6世門跡。 姉 亮子内親王 殷富門院 久安3年- 建保4年4月2日 斎宮...
View Article軒端の梅 式子内親王の生涯
久安5年(1149年)誕生 三条高倉第? 平治元年(1159年)11歳 10月25日 内親王宣下。斎院に卜定。紫野斎院野宮殿 嘉応元年(1169年)21歳 7月26日に病により退下 四条殿 承安4年(1174年) 26歳 三条高倉殿 治承4年(1180年)5月26日 32歳 以仁王事件により以仁王戦死 養和元年(1181年) 33歳 法住寺萱殿 寿永2年(1183年) 35歳...
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