敦忠 三十六歌仙 四辻季賢筆色紙コレクション
左 中納言敦忠 逢みての後の こゝろにくらぶれば むかしはものをおも はざりける 題しらず 逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は物も思はざりけり 公任三十六人撰 百人一首 四辻大納言季賢卿 四辻季賢 寛永七年(1630年)-寛文八年(1868年) 江戸初期の公卿。正二位権大納言公理の子。左近衛少将・左近衛権中将を経て、26才の時、参議・従三位に列せられ、正三位権中納言に至る。享年39才。...
View Article新古今集とその時代 蔵書
和歌文学論集 8 新古今集とその時代 風間書房 和歌文学論集 8 新古今集とその時代 編者:『和歌文学論集』編集委員会 初版:平成3年5月25日 発行:風間書房 目次 緒言 新古今集の「古」と「今」 稲田利徳 -「むすぼほる」の世界- 俊成と千載集 松野陽一 -伝源義家作の辺塞歌「勿来関道落花詠」の撰歌意図- 文治・建久期の歌壇 渡部泰明...
View Article万葉集 貧窮問答 とやの用例
neige9さんのblogより 万葉集のblog仲間であるneige9さんに貧窮問答歌の「憂し」とや「狭し」との可能性を聞いた所、詳しく調べて頂いた。 万葉集 「とや」の用例 5-893 宇之等夜佐之等 憂しとやさしと (山上憶良) 7-1234 海人鳥屋見濫 海人とや見らむ (古集) 8-1452 伊而麻左自常屋 出でまさじとや (紀女郎) 8-1559 還去牟跡哉 帰りなむとや...
View Article高光 三十六歌仙 筆者不明色紙コレクション
右 藤原高光 すめる かくばかり 月 へがたく かな うらや みゆる まし 世中 く に も 拾遺集 法師にならむとおもひたち侍りける比月を見侍りて かくばかりへがたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな 公任三十六人撰 俊成三十六人歌合 和漢朗詠集 定家八代抄 平成31年4月3日 弐點壱/十九
View Article公忠 三十六歌仙 万里小路雅房筆色紙コレクション
左 源公忠朝臣 いま 行やら 一 で こゑ 山路 の くらし きかま つ ほし ほとゝ きに ぎす 拾遺集 北宮の裳着の屏風に ゆきやらで山路くらしつほととぎす今ひと声のきかまほしさに 公任三十六人撰 俊成三十六人歌合 和漢朗詠集 万里小路大納言雅房卿 万里小路雅房 寛永十一年(1634年)-延宝七年(1679年)...
View Article忠岑 三十六歌仙 筆者不明色紙コレクション
右 壬生忠岑 有明のつれなく 見えしわかれ より うき あかつき 物は ば なし かり 古今集 題しらず 有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし 俊成三十六人歌合 定家八代抄 別本八代集秀逸(後鳥羽院・家隆・定家撰) 時代不同歌合 百人一首 平成31年4月3日 弐點壱/十九
View Article三十六歌仙色紙 筆者考察1
屏風に張られていたと思われる三十六歌仙色紙十八枚のうち、筆者名が記されているのが、九枚、不明が九枚であり、二枚組のセットである可能性があるので、比較したところ、八組が同筆と認められた。これら八組は、三十六歌仙の歌順と同じである。 万里小路雅は、同筆が無く、壬生忠岑は筆者不明のままである。 推察するに、三十六歌仙の残り十八枚の中に同筆があるのでは無いかと思うが、調べるすべも無い。 左 柿本人丸...
View Article三十六歌仙色紙 筆者考察2
伝承筆者履歴による執筆年の推計 三十六歌仙色紙には、9人の執筆者と役職が記載されている。役職については、いい加減なものもあるが、一応の目安となる。 飛鳥井大納言雅章 1611年-1679年 1652年 権大納言 1677年 従一位 久我左大臣広通 ※左大臣にはなっていない。 1626年-1674年 1654 正二位 1655 権大納言 1657 右近衛大将 1661 内大臣 葉室大納言頼業...
View Article三十六歌仙色紙 筆者考察3
真筆が確認されている小松茂美著日本書蹟大鑑との比較をしてみると、以下の通りである。 左 柿本人丸 飛鳥井雅章 筆 右 紀貫之 飛鳥井雅章筆 「乃」と「可」が一致する。 左 中納言家持 葉室頼業 筆 右 山邉赤人 葉室頼業 筆 「乃」と「ち」は一致するが、「浦」は書体が異なる。 左 在原業平朝臣 中院通茂 筆 右 僧正遍昭 中院通茂 筆...
View Article秋歌上 定家 三夕 筆者不明色紙コレクション
藤原定家朝臣 見わたせば花も 紅葉もなかり けり うらの苫屋の あきのゆふ 暮 新古今和歌集巻第四 秋歌上 西行法師すすめて百首よませ侍りけるに 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ 読み:みわたせばはなももみぢもなかりけりうらのとまやのあきのゆうぐれ 備考:源氏物語 須磨 平成31年4月3日 弐點壱/十九
View Article竟宴後の後鳥羽院と俊成卿女
○元久詩歌合(元久二年) 後鳥羽院 見渡せば山本かすむ水無瀬川夕は秋となに思ひけん 志賀の浦のおぼろ月夜の名殘とてくもりもはてぬ曙の空 常磐山秋をしのびて独行く袖の色より鹿や鳴くらん 旅衣けふみかの原露なれぬやどかせ山の秋の夕暮 俊成卿女 昔まであはれをみするつのくにの難波のおきの春の曙 春ふかき心の浪に雲消えて霞ぞなびくしがの浦風...
View Article下野 女房三十六歌仙 筆者不明色紙コレクション
右 後鳥羽院下野 心していたく かごと がま 老 なを し の なきそ き ねざめ きり/"\ に す 続後撰和歌集巻第六秋歌中 百首たてまつりし時、暁虫 心していたくな鳴きそきりぎりすかことがましき老の寝覚に 宝治百首 暁虫 後鳥羽院下野 祝部允仲女。後鳥羽院の女房で源家長の妻。新古今では、信濃。 冬歌(春日社歌合)、恋歌二の二首撰歌。...
View Article雑歌下 宜秋門院丹後 女房三十六歌仙 筆者不明色紙コレクション
宜秋門院丹後 なにとなく 蘚の きけば涙ぞ 袂 に かよふ こぼれ 松 ける 右 かぜ 新古今集和歌集巻第十八 雑歌下 春日の社の歌合に松風といふことを 宜秋門院丹後 なにとなく聞けば涙ぞこぼれぬる苔の袂にかよふ松風 読み: なにとなくきけばなみだぞこぼれぬるこけのたもとにかようまつかぜ 宜秋門院丹後...
View Article恋歌四 八条院高倉 女房三十六歌仙 筆者不明色紙コレクション
右 八条院高倉 曇れかし 詠むる浦 に 悲し きはつきに おぼゆる人の 俤 新古今集和歌集巻第十四 恋歌四 題しらず 八条院高倉 曇れかしながむるからに悲しきは月におぼゆる人のおもかげ 読み: くもれかしながむるからにかなしきはつきにおぼゆるひとのおもかげ 八条院高倉(1176-1250頃)...
View Article儀同三司母 女房三十六歌仙 筆者不明色紙コレクション
左 高内侍 独りぬる人やしるらん 秌の夜を ながしと誰か 君に告げつる 後拾遺和歌集巻第十六雑二 中関白かよひはじめけるころ、夜がれして侍りける つとめて、こよひは明かし難くてこそなど言ひて侍 りければよめる 高内侍 ひとりぬる人や知るらむ秋の夜をながしと誰か君につげつる 儀同三司母...
View Articleうすくこき 宮内卿の歿年7の2 宮内卿歿年の推定
8 宮内卿歿年の推定 (3)具親の軽服と最勝四天王院障子和歌 前述の石田氏が、定家の日記明月記を調べた姉弟の軽服期間によると、おおよそ2日で除服している。...
View Article九条兼実ゆかりの地 埼玉県滑川町
1 はじめに 埼玉県比企郡滑川町には、つきのわと言う地名があり、月輪殿と言えば、平安末期の摂政関白太政大臣九条兼実となる。 ところが、建久七年(1196年)の政変により失脚蟄居し、失意のどん底にあり、関東に痕跡を残せる事は無い。 又、兼実の日記「玉葉」、定家の日記「明月記」の当時には、欠落部分は多いものの、関東へ下向した痕跡は見えない。 そこで、滑川町に行きその辺を調査する。 2 月輪神社...
View Article秋歌上 良経 山家秋月 難波宗量筆コレクション
時しも みや あれ まの 故郷 月 秋 人 に かぜ の ぞ 音も 吹 せで 新古今和歌集巻第四 秋歌上 建仁元年三月歌合に山家秋月といふことを 摂政太政大臣 時しもあれふるさと人はおともせでみ山の月に秋風ぞ吹く 作者 九条良経。兼実男、摂政太政大臣。仮名序作者。 読み...
View Article葛飾北斎 百人一首乳母が絵とき 春道列樹 浮世絵コレクション
葛飾北斎 百人一首うばが絵とき 春道列樹 大判錦絵 百人一首うばがゑとき 前北斎画 春道列樹 山河に風の かけたる柵は 流れも あへぬ 紅葉成けり 古今集巻第四 志賀の山越えにてよめる 山川やまがはに風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり 葛飾北斎 宝暦十年(1760年) - 嘉永二年四月十八日(1849年) 江戸時代後期の浮世絵師 百人一首うばがゑとき...
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